泉一也の『日本人の取扱説明書』第24回「在り方の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
佇(たたず)まいという言葉がある。その場にどう在るのか、その有り様、在り方をいう。佇まいにはネガティブな言葉はあわない。オロオロとした佇まい、下品な佇まいとは言わない。凛とした佇まい、堂々した佇まいという。そこにいる有り様の美しさを表現する時に使う言葉である。
佇まいを英訳すると「appearance」、これは動詞appear(現れる)の名詞形。一方、佇まいは動詞「佇む」の名詞形。つまりババーンと現れるではなく、その場に静かにいるのが佇むである。ここからも西洋は動の文化で、日本は静の文化であることがわかるだろう。動の文化の西洋は、行動と結果に価値があり、静の文化の日本ではその場での在り方に価値がある。
武道では一本決めた後の「残心」を大切にする。残心とは勝ちを収めた後の在り方のことである。日本では勝敗より、残心に価値を見る。「勝ち組」という言葉は、本来の日本文化とはま逆である。この言葉には勝った後の残心がかけらもない。負けた存在をぞんざいに扱う言葉であり、極めてかっこ悪いのだ。勝ったという事実は、負けた存在の上にあることを忘れた傲慢さが臭うが、その不快な臭いに本来日本人は敏感なはずである。
なぜ勝ち組など不快な言葉がはやるのか。それは、企業社会が日本社会の中心にあり、企業は西洋的グローバリズムの波に飲まれていて、「動」の文化であるからだ。どう在るかより行動と結果に価値を置き、その行動と結果のアピールで評価がなされる。日本の「静」の文化は、企業社会では放置されており、在り方が素晴らしくても評価されない。「勝てば官軍」というような、ちょうど西洋化に舵を切った明治維新時に流行った言葉が価値観になっている。
さて、ここからである。この西洋的なグローバリズムで70億人が地球上で一緒に住み続けることができるだろうか。40年足らずで100億人の時代がくる。行動と結果つまり「勝ち組」に価値をおき続けていたら、北斗の拳の世紀末伝説のような未来が見えてこないか。戦争のリスクもあるが、それよりも地球環境のバランスが崩れ、大水害、大干ばつが同時に世界各地で起きようものなら、食料や水の奪い合いが世界規模で始まるだろう。まさにカオスという「動」を極めた世界である。
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ネットが『動』を超加速させていますね。世界中の人々の刹那刹那の損得や情動を扇動し、異常な昂奮と恐慌を焚き付けているかのようだ。