泉一也の『日本人の取扱説明書』第111回「お手洗いの国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
トイレのことを日本語でお手洗いという。前から妙な表現だと思っていた。「便所」は直接的な表現なので少し汚らしい。お手洗いは日本特有の婉曲表現ぐらいに捉えていた。
中国語ではトイレのことを「厕所」といい日本語の厠(かわや・川屋)の語源。英語にもlavatoryという表現があるが「水を使って綺麗にする」という意味であり、手を洗うという意味ではない。便を流した時に同時に手洗い水が出る便器はよく見かけるが、日本でしか見たことがない。トイレをお手洗いというのは日本オリジナルなのだろう。
お手洗いは日本の文化ではないのか。神社には手水舎(ちょうずや)があり、参拝の最初に手洗いうがいをする。 手洗いうがいで「ケガレ」を除去し、綺麗な身となって神の御前に向かうのだ。伊勢神宮にある五十鈴川の御手洗場は観光スポットにもなっている。
この神社での習慣は「疫病対策」から始まったという説がある。第10代の崇神(すじん)天皇の時にひどい疫病が流行り、疫病がこれ以上広まらないように、また今後パンデミックが起こらないようにと「手洗い」を日本人の習慣にするために生み出した知恵というわけだ。
崇神天皇は実在した最初の天皇といわれているが(それまでの天皇は空想上という説)、その天皇の名前が祟り神であることからも、疫病というタタリがあったと想像ができる。
「ケガレ」という思想、「清める」という思想、浄化や浄土に使われる「浄」の思想、そこからきた禊(みそぎ)は、疫病のパンデミックが起源とするなら、日本文化の源流は疫病と深い関係がある。そう考えると、握手やハグではなく「礼の挨拶」であるのはソーシャルディスタンスを保つために始まったのだ。
お風呂に毎日入る習慣も、温泉や銭湯の「かけ湯」も、おしぼりの習慣も、ホテルの部屋には必ずファブリーズの類があるのも、全て疫病が起源であるとしたなら、それを日本人の子孫に千年を超えて伝わるようにした崇神天皇は素晴らしく、誇らしい存在である。
人間は喉元過ぎれば・・と誰しもがそうなのに、千年を超えて経験知が伝承されたその極意は何か。それが分かれば、長年にわたり後世に知恵を残すことができる。
その極意とは「天啓」である。
この言葉をぱっと聞いてどんな印象があるだろうか。「なんか宗教っぽいっすよね」と気味悪く感じただろうか。もしくはアニメっぽさやファンタジーな印象を持っただろうか。
ここでいう「天」とは大自然のことであり、その大自然から受け取った聖なるメッセージのことを天啓という。メッセージを感じ、解読し、受け入れる、非日常の異次元世界。その異次元世界の役割を日本では天皇がされてこられたが、天啓の価値を忘れた日本人は、天皇を日常の現実世界の人にしてしまった。そのうち先祖たちが残そうとした知恵の本質は忘れ去られ、あわよくば形だけが残っていくのだろう。
いやいやそうではない。ジブリ作品、新海監督作品、異世界モノといった「ファンタジーアニメ」に天啓文化は残っていくのかもしれない。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。