泉一也の『日本人の取扱説明書』第125回「わらしべの国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
東の果てまでやってきた。ほとんど何ももたずに。そんな先祖を持つ日本人。血縁も地縁も何もない「ゼロ」から豊かさを得ていった。その心意気を持って先人は蝦夷地へ旅立ち、北の零年が始まった。北海道に行けばわかるが、マイナス20度の世界なのに豊かな街が数多くある。
ゼロから豊かさを得るには、一生懸命努力する必要があるが、そこには限界がある。自力の限界。自力に限界があるのは、「奢り」があるから。ドラゴンボールのベジータのように。
自分への奢りを手放した時、他力が使えるようになる。といっても自力人にそんなことを言えば、「そんな他力本願でどうする!人に甘えているからダメなんだ」などと邪魔くさい。ので、先人は物語にして伝えた。
それが「わらしべ長者」である。
貧乏な男がわらしべ(わら一本)を始まりとして、物々交換をしていくうちに金持ちになるというおとぎ話である。原話は今から千年以上前の「今昔物語」「宇治拾遺物語」にある。千年の歳月を経ても生き残っているものは本物。本質がそこにある。
これはgive&takeの話ではない。give&takeは等価交換であるので、豊かさは変わらない。豊かさを得るには何かそのもの以上の価値を与える必要がある。そのもの以上の価値とは何か。これがわかれば、ゼロからでも豊かさを得ることができる。
仮にわらしべ長者の主人公が最初に「事業計画」を立てていたらどうであろうか。このわらしべをまずは何円で売って、ターゲットは、売り方は・・そして何ヶ月後には売り上げをいくらにして・・となった時、たまたま出会った男の子が「このわらしべが欲しいよー」とぐずついても、無視するだろう。
つまり「計画」で縛ると「わらしべ好循環」は生まれないのだ。事業計画を主とすれば、自力で一生懸命に努力する世界にとどまる。他力は使えない。自力は1であるが、他力は無尽蔵。無尽蔵を使うには、事業計画はあったとしても参考程度にしなければならない。
わらしべ好循環は、計画の逆をすればいい。計画にないもの、それは「偶発」である。偶発の価値を知っている人は、偶発の価値を提供するので、得られる豊かさが増える。偶発分の価値が加算されていくのだが、偶発の価値を見極める目がないと、せっかくの機会が無駄になっていく。
偶発の価値を知っている人は、このコラムを今このタイミングで読んで痺れているだろう。タイミングが良すぎ!というのが多い人は、運がいいのではなく、偶発の価値を体感できる感性を持ち合わせているのだ。
もしその感性があっても、年次カリキュラムや年次計画の世界に何年も浸っていたらその感性は錆びているだろう。
この宇宙が誕生したもの、銀河が生まれたのも、太陽系が生まれたのも、地球が生まれ、生物が生まれ、自分がこの時代の両親に生まれたのも、全てが偶発である。その偶発が重なって豊かな世界を生み出していることを知っているだろうか。もし知っているのなら、その感覚をONにして偶発価値を付加して価値交換すればいい。
わらしべ好循環のスタートは今、始まった。このあと偶然起こったことに、偶発価値を乗せて与えてみよう。豊かさを得たいとか、長者になりたいといった奢りを手放しながら。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。