泉一也の『日本人の取扱説明書』第141回「根の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
ゴボウにダイコンにレンコン。根はうまい。
日本人にとっては当たり前の食材だが、根を食する国は世界でも珍しい。ジャガイモも根と思うかもしれないが、茎である。太平洋戦争の時、日本軍は敵国捕虜に対してゴボウ料理を出したが、戦後「木の根を食わした虐待だった」と、軍事裁判で戦犯扱いになったらしい。戦犯材料を意図的に探した根拠のない言いがかりに思えるが・・
食育という言葉があるように、「食」は人の意識に大きく影響を与える。ということは、根を食する日本人は根の影響を受けているはず。根の特徴を挙げてみると、土の中にある、栄養を吸収する、本体が倒れないように支える、幅広さと繊細さを持つ、抜けにくい。
ちなみに家屋の一番てっぺんにあるのに「屋根」という。なぜ上にあるのに「根」を使うのか。それは家屋で最も大事なのは雨露をしのぐ部分であると同時に屋根は家の中から見えない。「大切だけど見えない支え」を表すから根という言葉を使ったのだろう。私の親父は屋根屋だったが、存在も技術もほとんど知られていない職業だった。大工の認知度と比べればわかるだろう。
そう考えると場活師なる職業は、コンサルタントやコーチといった花がある職に比べれば認知度はかなり低いが、屋根屋の息子として私がなったのは合点がいく。
根の性分を持つ日本人は、根性論になりやすい。「お前は根性が足らん」と親父に何度言われたか。すぐに「もうあかん」「それはできん」と弱音を吐いてあきらめてばかりいたので、頻繁に言われたのだろう。私が根性論を毛嫌いする背景がここにある。そして今はどうかというと根性は全然足らない。
結局、いつまでたっても根性が足らないわけだが、足らないのがちょうどである。根はいつまでも成長を続けるからだ。根は先端部分になるほど細胞分裂が激しいので、どんどん伸びていく。足りたら根は細胞分裂をしなくなって、本体の成長もストップする。
とすれば、私が毛嫌う根性論も先端を成長させればいい。過去になかった心理学をとり入れれば「根性理論」に進化する。根性論は嫌いだが、根性理論は好きである。きんぴらごぼうは嫌いだが、牛肉のごぼう巻きは好きなように。
ということで、根も葉もないと思っていた親父根性論を「根性理論」に進化させてみよう。
根性論「できんと思うからできんねや」
根性理論「できないと思う」→「できない理由を探し出す」→「できないイメージがわく」→「自信がなくなる」→「集中力がおちる(ノンフロー)」→「ちょっとやってうまくいかない」→「やっぱりできないと思う」→「自分ができないと最初に思ったことは正しかった」→「できないが確信に」。できないが強化される悪循環サイクルである。
根性理論は幅広く繊細である。これがわかれば「できると思うからできる」も理論化できる。
「できると思う」→「できるにはどうしたらいいかアレコレ考える」→「やってみたくなる」→「やってみたら、ちょっとうまくいった」→「またやってみたくなる」→「面白くなって集中してきた(フローという)」→「できることが増えてきた」→「成長を実感できた」→「自信が生まれてきた」→「できるが確信に」。できるが強化される好循環サイクルである。
根性論を押しけられたと根に持っていたことで、根性理論が生まれ、さらには悪循環を好循環に変える場作りを生業として根を生やすことができた。根がなくても花が咲くカタカナ職ではなくて。
自分に言っときたい。「根の国の根性論親父の元に生まれてよかったネ」
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。