第142回「無謬の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第142回「無謬の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

無謬(むびゅう)とは「理論・判断に誤りがないこと」。

誤謬(ごびゅう)という言葉は聞いたことがあるだろう。知識・考え方の誤りをいう。「合成の誤謬」という表現が経済学で使われるが、個々が良かれと思って判断したら、全体として逆の結果が生まれること。難しく言えば、部分最適を集めると全体不最適になり、ミクロの合理性がマクロの不合理性を生み出すということ。難しい言葉をより難しく説明するのもたまにはいい。

簡単な例でいうと、個人が「お金を貯めることは未来の生活を守るために良いことだ」と考え、他の人も同じように考えて皆が一斉に貯蓄をすると消費が減少し、企業の売り上げが落ちて景気が悪くなる。景気が悪くなったことで、給料が下がったり、職につけなかったりと生活が不安定になるといった「逆の現象」が起こる。

他にも、景気が悪い→企業が自社を守るため経費を削減→景気が悪くなる→企業業績がさらに落ちる。とか、新型コロナだ!→自分を守るためマスクを買い溜めする→マスク不足が生じる→マスクがやたら高く手に入りにくくなる→マスクが買えず自分を守れない!など。

合成の誤謬を解決するには、個々人が全体を俯瞰して賢明に判断することだが、この多様化・複雑化・グローバル化した社会全体を見るのは難しい。どうしても簡単に手に入るマスコミの情報を当てにしてしまう。

ここに無謬がすっと入りこむ。権威ある人や有名人が言うことは間違いないと信じてしまうのだ。戦時中、マスコミを通して大本営から発表される虚偽の情報を国民のほぼ全てが信じていた。識字率は高く義務教育のレベルも高かったのに、なんでそんなことが起こったのか?と現代の我々は不思議に思う。

その理由は、大日本帝国は天皇制で権威づけをしたからだ。権威ある存在への無謬。ノーベル賞をとった科学者が専門外の発言をしたとしても、その発言を信じてしまうのと同じである。

そして、後々に真実がわかった時、騙された!と被害者になる。オレオレ詐欺も同じ手口。不安を煽り、そこに警察や銀行や弁護士といった権威づけをすることで「無謬」を巧妙に使う。無謬作戦の手口を知っていたらオレオレ詐欺には騙されない。

日本人は有名・権威に弱い。なぜかというと劣等感が根底にあるから。自分はそんな人や組織と比べたら大した者ではないという自己像。その自己像が優れた存在を「無謬」とみなし、鵜呑みにするのだ。騙したほうが悪いのだが、騙された方も無謬とみなした責任があるだろう。自己肯定感が低く劣等感をすぐに抱く日本人にとって、無謬詐欺市場は活況である。

専門家、講師、コンサルタントは、有名になって権威を持つ方が儲かる。仕事は増え、単価も上がり、自分を無謬な存在とみてくれる。周りは素直に言うことを聞いてくれるので仕事は超やりやすい。しかし、本質的な問題は解決しない。なぜなら、専門家やコンサルタントは「きっかけ」にすぎず、最後は当事者が自分で考え、選択し、責任をとるのは自分だからだ。

「泉さん、同業なのにそんなに手口をばらすなよ」と言う声が聞こえてきそうだが、安心してください。大丈夫ですよ。このコラムの読者は、元々、無謬詐欺に合わない。有名権威でサーチしてこのコラムにたどりついてないだろうし、場活師はそもそも有名権威のパンツははいてないのですよ。

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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