日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
― 偶発という生活習慣(前編)―
以前、ボランティア界隈で物議を起こしたブログがある。「ボクのおとうさんはボランティアというやつに殺されました」という物語調の投稿。かいつまんで説明しよう。
主人公のボクはお父さんと村で幸せに暮らしていた。毎日、畑で採れたトウモロコシと芋を食べ、川で魚を捕まえて、山で鹿を狩り、一日中お父さんと一緒に過ごしていた。
ある日、海の向こうからボランティアがやってきて、村に指導が始まった。「この食事では栄養不足だ」といって野菜の栽培を勧め、畑で野菜を作り始めた。野菜はトウモロコシや芋と違って毎日世話をしないといけない。お父さんは忙しくなり、一緒に過ごす時間が減っていった。野菜は美味しくなく、食べてもすぐにお腹は減る。
さらにボランティアは言った。「あなたたちは貧乏だから野菜を売ってお金を稼ぎなさい」野菜を売るためにお父さんは毎日町と村を往復するようになった。自分たちで食べる分の栽培では足りないので、売る用の野菜を作るためにさらに仕事が増えた。
結果、お金を得てテレビを買い、ものが増えたが、一緒に魚や鹿を捕まえる時間はなくなり、お父さんは毎日お金を稼ぐことばかりを考えるようになった。ボクのことを考える時間はもうない。大好きなお父さんはいなくなってしまった。そして最後にボランティアが言った。「この村もようやく幸せな暮らしに変わった」と。
日本村にも当てはめてみよう。150年ほど前、日本はペリー来航を機に開国させられる。維新が起こって幕府が滅び、文明開化し、富国強兵に邁進。かの大国と戦い、大敗し、かの大国に一時占領された後に独立。現在は世界第3位のGDPになった。
「この日本もようやく幸せな暮らしに変わったな」
ペリーがあの世から今の日本を見て言いました、とさ。
で終わらせていいのだろうか。
何かひっかかる。だからといって、他に道はあったのか?と聞かれると、答えに詰まる。その時はその時でベストな選択をしてきた結果だろう。だからといって、この違和感をもったまま次世代にバトンタッチはしたくない。
おそらく徳川幕府の中にも「このまま次の世代に渡していいのか?」と思っていた人がいたに違いない。手をこまねいているスキに、欧米列強の外圧によって幕府は滅び、さらに270年守り続けた国策も変わってしまった。ボランティアがやってきて、ボクの村が変わったように。
もし外圧に変化を委ねてしまったことを反省するなら、内圧で変える道があるはずだろう。その内圧としたいのが「日本劣等改造論」なのだ。
外圧によって変わった世界というのは、お金を中心にした計画経済。どこにでも計画がついてまわり、その計画が主人公となって、人が動かされている。政府も銀行も企業も学校も計画があってこそ。国会では予算審議で揉めに揉める。それはお金の分配と計画。「ご利用は計画的に」と消費者金融も言う。
失敗したときに、「お前には計画性がないからだ」と怒られて、劣等ウイルスに感染したことがないだろうか。この計画というたかが手段が、なぜ偉そうにのさばっているのか。後編では計画ではなく、その対極にある「偶発」というマイナー領域をメジャーデビューさせる話にしていければと思う。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。