AIの登場によって人間の仕事は奪われていく、
と言われている。
レジや運搬のような単純作業から、
医療、法律、教育という専門分野に至るまで、
人間のやっている仕事のほとんどは、代替え可能という訳だ。
確かにそうなのかもしれない。
頭脳や手先の器用さを比べたとき、
記憶力も、作業効率も、その精度も、
人間は機械やコンピュータには到底及ばない。
さらには学習するための勤勉さや、
素直さ、体力、どれを取っても勝ちようがない。
では人間の仕事は無くなってしまうのだろうか。
私たちはそのとき、どうやって生きていけばいいのだろうか。
機械に働かせて、人間は遊んでいればいい、
というストーリーも考えられる。
食料、住居、衣類、医薬品、などなど、
生活必需品を機械が作って提供してくれれば、
人間は働かなくて済む。
だが仮にそうなったとしても、
人間のやる仕事は絶対に無くなりはしないだろう。
なぜ、仕事がなくならないと断言出来るのか。
それは、仕事と呼ばれるもの大半が、
実は無くてもいいものだからである。
そもそも仕事とは何を指すのか。
お金を得るための作業。
確かに個人の労働者からはそのように見えるだろう。
だが、人類全体を俯瞰して見れば、答えは全く違うものになる。
人間が仕事と呼んでいるもの。
それは、人間以外の生物からは、どのように見えるのだろうか。
生きていくために必要不可欠な活動。
確かにそのようなものも含まれる。
だがそのほとんどは、
他の生物にはとても理解しがたい活動である。
ちょっと街を眺めてみても、
花屋、ケーキ屋、スポーツジム、雑貨用品店、
映画館、喫茶店、美術館、居酒屋などなど、
生きていくのに必要のない店や施設ばかり。
無くても生きていけるが、ある方が楽しい。
そういうもので世の中は溢れている。
つまり、仕事の大半は無くてもいいものばかりなのである。
生きていくために無くてならない仕事を
AIや機械が取って代わる。
さらには無くてもいい仕事まで機械が取ってしまう。
たとえば花を育てたり、ケーキを焼いたり、
ペットを飼育したり、映画を撮影したり。
仮にそうなったとしても、人間は更にまた新しい、
無くてもいい仕事を編み出していくだろう。
仕事に追われて忙しすぎると、私たちはつい忘れてしまう。
人間が何のために生きているのかということを。
仕事に追われるサラリーマンに働く意味を尋ねたら、
きっとこう言うだろう。
それは飯を食うため、生きてくためなのだと。
だが人類全体を眺めれば、
生きていくことに直結した仕事はごくわずかだ。
もしも生きることだけを目的にすれば、
人類全体の仕事量は何十分の一に縮小されるだろう。
私たちは間違いなく、楽しむために生きているのだ。
そして、楽しむために働いている。
生活に追われる人たちには到底、納得のいかない答えだと思う。
だがそれが事実なのである。
機械やAIが私たちの仕事を代行し、
生きていくための仕事はどんどん減っていく。
その時私たちは、仕事の本当の意味を知ることになるだろう。
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