私たちは知らず知らずのうちに、
常識や先入観に縛られてしまう。
もちろんそれは悪いことばかりとは言えない。
それらがあることによって
私たちは無駄な選択肢を排除し、
無意味な思考を止めることができる。
いわばルーティーンのような役割を果たしているのだ。
たとえば靴を履く時に、どちらの靴から履くのかを
毎朝考えることは無意味である。
旅行の計画を立てる時に、世界中の
ツアーパンフレットを集めることも時間の無駄だ。
意味のない思考や、効率の悪い行動は、
貴重な人生の時間を削り取っていく。
「それは無駄」「考えるまでもない」
という強烈なブレーキによって、
私たちの日常は保たれているのである。
だがそのブレーキは、
同時に私たちを思考停止状態にしてしまう。
急激に変わりゆく社会の中で、
常識や先入観に縛られることは危険この上ない。
とは言え、それらを完全になくすことは
事実上不可能なのである。
では私たちはどうすればいいのか。
常識や先入観に縛られるのではなく、
完全に否定するのでもなく、
うまくそれらと付き合っていく方法。
それを模索すべきなのである。
冷静に考えれば、それらは単なる習慣に過ぎない。
習慣ゼロの人間がいないように、
常識や先入観がゼロの人間も存在しない。
あることが正常な状態なのである。
問題なのは、常識や先入観があることではなく、
あるはずのものをないように捉えてしまうこと。
そうなってしまったら、もはや常識の囚われ人だ。
永遠にそこから抜け出すことはできないだろう。
私は常識と先入観に縛られている。
そこから思考をスタートすることが重要なのだ。
では私はどういう常識に縛られているのか。
それを書き出してみる。
たとえば、勤勉なことは正しいことだ、とか。
少子高齢化はよくないことだ、とか。
デフレだから安くなければ売れない、とか。
人手不足は社会全体の問題だ、とか。
書き出すことによって、
習慣化された自分の思考の枠組みが見えてくる。
次に、その常識をひっくり返してみる。
勤勉は悪だ。
少子高齢化は素晴らしい。
デフレだから安いものは売れない。
人手不足は我が社だけの問題だ。
というように。
そんなバカなことができるか!
と否定するのは常識に囚われてしまっている人だ。
もっと気楽に、オセロゲームのように、
常識というコインを裏返してみる。
たったそれだけで、
行き詰まっていた盤面は反転する。
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