少年よ小志を抱け

少年と書くことすら憚られる時代である。
もちろん少女を差別しているわけではない。
少年も少女も子供も大人も
「小志を抱こうよ」と言いたいのである。

日本の総人口が世界11位に後退してしまった、
とニュースになっていた。
確かに日本の人口問題は深刻だ。
多くの高齢者を抱えながらどんどん減っていく労働人口。
この局面をどうやって乗り越えればいいのか。

とは言えもう人口は増えないだろう。
いや増えなくていいと思う。
産めや増やせやの人口増加戦略で
日本は驚くような成長を遂げた。
いま直面しているのはその反動である。

若者はいずれ老人になる。
当たり前の話ではないか。
それを回避するためには人口を増やし続けるしかない。
だがそんなことをしたら地球がもたない。

人口を増やし続けることによる成長。
それは必ずどこかで終わる。
もちろん人口に限った話ではない。

生産量を増やし続けることも、
消費量を増やし続けることも、
規模を拡大し続けることも、売り上げや利益を
増やし続けることも、必ずどこかで限界が来る。

全体を見ればそんなことは明らかである。
それでも人は拡大を目指す。
企業も国家も拡大を目指す。
全体は無理でも自分たちだけは何とかなると
信じているのである。

もちろん自分だけなら何とかなるかもしれない。
だがそれでいいのだろうか。
そんなものに意味があるのだろうか。

私だって貧困は嫌だ。
豊かな生活がしたい。
それが間違っているとは思えない。
問題は豊かさの定義である。
量を追求することによる豊かさはもはや限界なのだ。

大きな家に住む。
たくさんのものを所有する。
1円でも多くのお金を稼ぐ。
ここには限界がない。
故に満足度は他者との比較でしか得られない。

ご近所で一番大きな家。
同級生で一番の稼ぎ頭。
そこには必ず大勢の負け組が存在する。
だったら勝てばいいじゃないか。
それがこれまでの常識。

もういいのではないか。
拡大も、競争も、他者との比較による満足も、
虚しいだけだ。

大きな家ではなく、大好きな家。
たくさん所有するのではなく、
本当のお気に入りだけ所有する。
あるいはシェアする。
稼ぎの量ではなく稼ぎの質を追求する。

それは本当に負け組なのだろうか。
大志は小志に勝るのか。
私はそうは思わない。
志に大きいも小さいもない。

小さいけれども自分にとって一番大切なこと。
それこそが志なのだ。
少年よ、少女よ、子供たちよ、
自信を持って小志を抱け。

 

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1件のコメントがあります

  1. 人口を増やし続けることによる成長。
    それは必ずどこかで終わる。
    もちろん人口に限った話ではない。
    そう思います。
    いつもコラム、ありがとうございます。

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