泉一也の『日本人の取扱説明書』第66回「型の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第66回「型の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 

「かきかた鉛筆」。妙な懐かしさを感じないだろうか。小学校低学年の時に使った鉛筆。2Bぐらいの濃くて柔らかい芯の鉛筆である。

小学校に入っての最大の変化は、文字を書く、文字を読むことが全ての基本になったことだ。これまでは歌を歌ったり、遊んだり、お遊戯したり、工作していたらよかったのに、いきなり文字の世界に入る。その大変化の中で「かきかた鉛筆」は筆箱の中でひときわ存在感を出していた。そのかきかた鉛筆で「かきかた練習帳」に文字を書きまくったのだ。右手小指の下を真っ黒にしながら。

話はとんで、日本人なら誰しもラジオ体操ができる。できるというか、体が覚えているのだ。「チャンチャラチャラララ♪」と前奏がなり、「腕を前から上にのびのびと背伸びの運動から」という言葉を聞くと、自然と体が動き出し3分20秒の間、無心で体操をすることになる。

日本人は、書くことも体操も「型」を中心に身体に覚えさせる教育をする。これは武道、茶道、書道といった道の教育の基本にある。その型をとにかく身体が覚えるまで繰り返し行うのだ。道の教育は「守・破・離(しゅはり)」というが、型は最初の「守」の世界である。その守という土台がしっかりできているので、次に「破」ができるわけだ。

この守から破に移行するためには、大きな壁がある。武道には型と組手があるように、組手が「破」の世界である。型の土台は使えるが、型通りにしては勝てないのが組手。組手は何が起こるかわからない不確定性が高いライブ。そこには恐怖も痛みも負けるショックも感情でいうと、向き合うものが大きく変わる。そこで向き合うものを全てクリアーしていくと「離」の世界がふと自然にやってくる。書家の相田みつをさんのように、自己流、オレ流が生まれるのだ。

今の日本の教育は、型がゴールになりすぎていて「破」がない。なので、もちろん「離」がない。離という創造がないので、「型を守る」を努力して頑張る。守の世界では、生産性が高まることはない。努力こそが美徳となる。学校で先生という仕事がブラック化するのは必然である。

日本人は基礎がしっかりしているのに、創造力が乏しいと言われるのは「離」がないからだ。つまりは「破」のプロセスを大切にしてこなかったツケなのである。もし創造力を高める教育をするのであれば、不確定性が高く、恐怖やショックのある「破」の組手が必要である。

ちなみに場活では、乱取りのごとくあらゆる人と対峙し対話をさせてバカ2化していく。型を破るのは「守」だけの人からすると「バカ」に見える。なので、場活とは仲間と協力してバカになっていく共育の場づくりなのだが、守の人たちにそれを言うと「(@_@)」になる。

ガチガチになった「守」の教育を変えるには、「破」の組手をせざるを得ない場に強制的に連れ出せばいい。すでに日本ではその場は作りにくい。親も上司も大人がみな「守」になりすぎて固まっているからだ。なので、親や上司からひき剥がし、組手をせざるを得ない外国に行かせる。そこには、素晴らしい「破」の世界が待っている。お近くの東南アジアにはその場がまだたくさんあって物価も人件費も安い。そう、近い、安い、効果あり!の3点セットとなったら、商人的にその商売は美味しいのだ。

「守」の教育はe-learningやAI教育で代替できるようになった。そうすると人間の役割は「離」を生み出す「破」の組手共育である。きっとその世界にワクワクするだろう。人間だもの、破りたくなる年頃なのである。やっとイヤイヤ期に入った日本人である。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

著者ページへ

 

感想・著者への質問はこちらから