お金と時間は人生という
ゲームにおける飛車と角である。
すなわち最強の駒だ。
このふたつを制するものが人生を制する
と言っても過言ではないだろう。
金持ちの家に生まれれば、生まれながらにして
お金という駒を手に入れることができる。
日本は豊かな国なので「1円たりとも
もらったことがない」という人のほうが少ない。
学校に通わせてもらい、ご飯を食べさせてもらい、
マンガやゲームを買ってもらえる。
それはお金をもらっていることと同義である。
とはいえ多くの人は、生きていくためのお金を
自分で稼がなくてはならない。
そのために人は時間を使う。
生まれながら与えられたこの武器は
お金を稼ぐ上で大いに役に立つ。
ただし使い方によって時間の価値は激変する。
もっとも価値のない使い方はそのまま売ってしまうこと。
コンビニや飲食店などの時給仕事がそれである。
言われたことを言われた通りこなす仕事は、
自分の時間を安売りする行為に他ならない。
時間は加工することによって高くなる。
たとえば有名大学の学歴も時間の加工だ。
学歴を得ることで時間価値は高まる。
知識やスキル、資格や経験を
身につけることも同じである。
すべては時間価値を高めるための加工なのだ。
全員が平等にもっているように見える時間。
だがその価値は人によって大きく異なる。
タダ同然の時間もあれば1億円の価値を持つ時間もある。
タダ同然の人ほど「時間<お金」という図式で
考えており、時間価値が高くなっていくほど
「時間>お金」へと変化していく。
「時間<お金」という図式で考える人は
どんどん時間を売ってしまう。
もちろん学歴や資格を得るためにもお金は必要だ。
だから仕方なく時間を売っているという人もいるだろう。
そういう人たちに朗報がある。
時間とお金の逆転現象が起こりつつあるのだ。
時間と違ってお金は等価である。
金持ちの1万円も貧乏人の1万円も
市場での価値は同じだ。
だから貧乏な人ほどお金に執着してしまう。
だがその発想は改めた方がいい。
これからは時間そのものの価値が高まっていく。
現代社会にはモノやコトが有り余っている。
しかも簡単に手に入る。
検索や視聴という便利な機能がなぜタダなのか。
それは検索してもらう、視聴してもらうことで、
ビジネスが成り立っているから。
自分の時間には想像を超える価値があるのだ。
検索してあげる、視聴してあげる、という感覚を、
もっともっと研ぎ澄ませるのだ。
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1件のコメントがあります
現在は簡単に贅沢はできないけど、最低限の生活(保護もある)ができ、ある程度のこと(例えば娯楽等)は何でも(安価又は無料で)楽しめる様になってきた。そうなると、
時間(仕事や相手の選択)の自由>お金(経済的)の自由 式(1)
となってきた。その次は、
時間×お金=選択の自由 > 時間の自由、お金の自由 式(2)
になる時代が来るかもと想像しました。
但し、紛争がなく法治国家で豊かな国や地域の住人(国民)が享受できると思います。
余計なお世話であるが、生きるか死ぬかの最貧国の住人(国民)は、マダマダです。