このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「懐かしい」が金になる!?
「あぁ、懐かしいな」って思うコト・モノってありますよね。
自分が知っている時代、とりわけ生活に密接に関係しているコト・モノには、誰しも大なり小なり思い出、思い入れがあったりしますからね。
例えば、懐メロってありますよね?
実は、僕、子供の頃に懐メロを聞くのがすごく嫌でした。
だって、子供だった僕にとって、懐メロって何の思い入れもない曲ですからね、ただの古臭い曲なわけです。
ところが、僕も40歳を超えて、自分にとっての懐メロが出てくると、これはこれで案外楽しめるようになります。
そう考えると、人って自分にとって「懐かしい」と感じられるコト・モノには、一定の興味を持つ生き物なのかもしれません。
例えば、僕のような40代はテレビゲーム世代ですから、当時やっていたファミコンなんかのゲームを見ると「懐かしい」って思えるんです。
最近はゲーム実況・配信をしている方も多いですよね。
最新のゲームはすぐにプレイ動画で紹介されますが、僕はレトロゲームのプレイ動画を発見すると、思わず見てしまうんですよね。
普通に考えたら最新のゲーム動画の方が綺麗だし、面白いんでしょうが、僕は古いゲームのプレイ動画を好んで視聴しているのです。
古いゲームと僕には何らかの関係性があって、古いゲームのプレイ動画を見ると、「懐かしい」という感覚を持って感情移入してしまいますね。
あれ!?
もしかして、誰かの「懐かしい」は金になるんじゃないのか!(大発見)
実際、あらゆるメーカーのレトロゲームを楽しめるゲーム機なんかもそこそこのお値段で売ってますからね。
考えてみたら、懐かしい何かって、世代に共通する優良コンテンツですから、強くて当然ですよね。
だから、パチンコの機種って上手いことやるなぁ、って思うんです。
僕らが少年の頃に見ていた漫画やアニメが、パチンコの機種になり、大人になった僕らからお金を吸い上げていきますからね。
何の思い入れもないオリジナルのキャラを作るより、「懐かしい」を感じさせるキャラを採用した方がビジネスとしては固いですよね。
ところで、愛知県には「明治村」という明治時代の建物を再現(保存)したテーマパークがあります。
東海圏の方なら一度は行ったことがあるのではないでしょうか?
昭和生まれの僕には、明治がどうだったか本当のところはわかりませんから、明治村のコンテンツで、僕が「懐かしい」と感じられるようものは基本的にありません。
ただ、今につながる原風景の一部として、興味深く見ることはできますけどね。
よく考えたら、明治生まれの方って令和の今となっては100歳を遥かに超えてきます。
ですから、そんな大先輩方が明治村を訪れ、「懐かしい」と感じるのは流石に難しいかもしれません。
明治村ができたのは、1965年とのことですから、もしかするとその当時は明治生まれの方が訪れ、「懐かしい」と感じていたのかもしれません。
さて・・・
ここで僕に一つのギモンがわいてくるのです・・・
「明治村」があれば、「昭和村」とか「大正村」もあるんじゃない!?
・・・って。
はい、愛知県のお隣の岐阜県には、「日本昭和村」という、昭和30年代の里山をイメージして作られた公園があるようです。
さらに、同じく岐阜県に「日本大正村」というのがありました!
まさかと思い、調査を続けておりましたら・・・
岐阜県には(←またお前かッ!!)「日本平成村」というエリアがありました。
ここは別に平成にちなんだ展示があったりする資料館の側面はないようですが。
やっぱり「懐かしい」ビジネスって、一定のマーケットもあるし、手堅いですよね。
ただ、だからこその問題も出てきます。
例えば、仮に、「明治村」のターゲットが「明治時代を「懐かしい」と思える明治生まれの方」だったとすると、成立しなくなります。
というのは、明治生まれの方は(色んな方が推察している情報によれば)現在2,000名前後だからです。
ですから、流石に「懐かしい」と感じる方ばかりをターゲットにビジネスは成り立ちません。
コト・モノとの間に「懐かしい」と感じられるような関係性を持った人たちが少なくなってきたとき、「懐かしい」ビジネスの真価が問われます。
明治村のようにハード(建物)に投資して、「懐かしい」を演出している場合は特に。
「昭和にしよう」「平成にしよう」と変えられませんからね。
ですから、明治村では、明治を舞台にしたアニメや漫画とコラボするなど、持っている明治コンテンツを活用しています。上手いですよね。
歴史的な建造物と、現在人気のアニメ・漫画とのコラボは近年よく見られます。
これは、歴史的な建造物と僕らの間に何の関係性もありませんが、アニメ・漫画には関係性があります。そこを上手く繋いだビジネスですよね。
アニメ・漫画のモデルやロケ地になった場所を訪れる「聖地巡礼」も似たような側面があります。
ところで・・・
「令和村」って気になりません?
調べてみると、今のところは無いみたいなんです。
でも、きっと、令和を「懐かしい」と思える世代が出てきた頃、岐阜県が動き出すんじゃないか!?って思うんですよね。
皆さん、どう思います?
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。