このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。
『ニーチェの馬』で知る規則正しいことの大切さ。
哲学者ニーチェは、トリノの広場で馬が鞭打たれていると駆け寄ってその首を抱いて涙し、彼の精神は崩壊した。ニーチェはそのまま入院し、10年後に亡くなった。その馬の行方を知るものはいない。
そんなニーチェに関する逸話にインスパイアされて、タル・ベーラが監督した『ニーチェの馬』。2011年のハンガリー映画だ。タル・ベーラはこの作品を監督したとき、まだ50代の半ばだったがこれが最後の監督作品だと明言し、実際に以降は映画作品を発表していない。
映画の冒頭、トリノの広場らしきところで物語は始まる。そして、ニーチェの逸話が紹介される。そこから先の主人公は人里離れた小屋で暮らす農夫と娘だ。ほとんどの場面が、この二人が暮らす小屋だけで展開される。二人は貧しい。毎日の食事はじゃがいもだ。それぞれに茹でたじゃがいもをひとつ食べて食事は終わる。それでも、ずっとそれを繰り返してきた二人には、それが不幸かどうかも実感がない。見ている観客も、この二人にはこんな暮らしがずっと続くのだと思いながら画面を眺めている。
しかし、ひとつひとつ小さな不幸が二人を襲う。1日目には58年間鳴き続けてきた木食い虫が泣いていないことに気付く。2日目には悪い知らせを持ってくる男が登場し、3日目には流れ者との小競り合いがあり、4日目には井戸の水が干上がってしまう。
こうして、貧しい二人を毎日小さな不幸が襲い始める。映画は6日間、二人を映し出す。その間、ずっと二人はじゃがいもを食べ続ける。食べ続けながら、少しずつ不幸になっていく。6日目には火が消えてしまい、二人はじゃがいもを生で食べなくてはならなくなる。二人は生のじゃがいもを食べることは不可能だと知り食べることを諦める。つまりは生きることを諦めるのだ。観客はここで初めて、これが世界の終わりの物語だということに気付く。神は世界を7日間で創ったのなら、滅ぶときにも7日間かけて滅ぶのではないのか、とタル・ベーラが問いかけているようだ。
ニーチェを発狂させた馬が神なのか悪魔なのか。どちらにしても、なにかのきっかけはとても小さな何気なさでやってくる。そんなことをこの映画は150分という時間をかけて、ゆっくりと教えてくれる。そして、物語の中で強く印象に残るのは、農夫と娘が黙ってじゃがいもを食べ続ける食事シーンだ。これがあるからこそ、二人の不幸がしっかりとこちらに見えてくる。
毎日、同じことを私たちは繰り返す。それが規則正しければ規則正しいほど、ほんの少しの変化を見逃すことがない。経営者のみなさん、事業や社員の変化を見極められるようなルーティーン、なにかやってますか?
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。