人生とっくに後半組の人間ですので、
たまには昔話をさせていただきます。
今となっては普通とか平均的などというものはなく
古い感覚かもしれませんが、
ほかの同年代の人と同じように
学校の卒業が近づいてきたので
フツーに就職活動をして
フツーの会社に就職して、
特に引っ越す距離でもなかったので
実家から通っておりました。
当時は背広を着ておりましたが、
母はわたくしの安い革靴に
毎日のようにワンタッチタイプの黒い靴墨を塗ってくれたものです。
母は自他問わず衣料品に興味も関心もない人間でした。
ちゃんとした靴の手入れではそんなことをしてはいかんのですが、
もちろんそんな問題ではございません。
ようやく仕事に就いた出来の悪い息子に
少しでもなにかしてやろうと手を動かしてくれたのでしょう。
わたくしがそれを思い出したのは
ずいぶんと後になり
おのおの別のところに暮らし、自分が中年になってからです。
それまでは「行動」としか見えておらず、
そこにある「自分のためにしたい気持ち」を
掬いとることができていなかったのです。
親孝行したいときには親はなしというなどと、
わたくしも就職したときの給金で
プレゼントなど買ってはみていましたが、
嬉しいかもしれないけれども
そういうことでもないんだろうなあと
今となっては振り返る次第です。
ただ、成人するまでに至った子どもを
変わらず愛していてくれていることを
いい年をした分、子どもとしてちゃんとわかっている、
それができていなかったのです。
しかし同時に思うのです。
親の気持ちを理解するのも思いやるのも
人との気持ちという意味では他人との関係と同じ。
では、友人をつくったり異性にもてるのに得手不得手があるように、
家族とのつながりといったことにもうまいへたがあり、
親孝行にもセンスというものがあるのではないかと。
そして、センスがない人間ほどきまって、
自分が年を取りはじめてからあわてて始めるのではないかと。
おそらくわたくしも
親孝行のセンスがからっきしだったのでしょう。
ちなみに母は高齢ですが健在です。