第4回 「Refine」を創業して気づいた喜び

この対談について

母から受け継いだ指輪をネックレスに、片方なくしたピアスをペンダントに、思い出の詰まった2つのリングを溶かして1つに――。魔法のようにジュエリーを生まれ変わらせるジュエリー修理・リフォーム専門店「Refine」(リファイン)。代表の望月信吾さんに、お客様に感動を届けるジュエリーリフォームの魅力、そして波乱万丈な人生についてお聞きする対談企画です。

第4回 「Refine」を創業して気づいた喜び

安田

今回は、望月さんがジュエリー修理・リフォームの「Refine」(リファイン)を創業されたところからお聞きしていきます。卸の仕事が大変だったから別の事業を、ということだったと思うんですが、なぜ修理・リフォームを選んだんですか?


望月

正直に言えば、「自分は営業が向いてないんだな」と痛感したからですね(笑)。自分から営業するんじゃなく、お客さん側から来てもらえる事業がいいなぁと。

安田

営業をずっとやってきて、「向いてない」と気付いたと。なかなか辛い話です(笑)。


望月

本当にねぇ(笑)。

安田

とはいえ、お客さん側から来てもらえる事業といっても、いろいろあるじゃないですか。普通の宝石店をやったっていいわけだし。


望月

そうなんですけどね。ときに安田さん、「ミスターミニット」というお店はご存知ですか?

安田

ああ、はい。駅とかデパートに入っている、靴の修理や合鍵作りをやってくれるお店ですよね。


望月

そうですそうです。僕は昔からあの業態、いいなぁと思っていたんですよ。困っているお客さんがやってきて、それを解決してあげることでお金がもらえる。

安田

ははぁ、なるほど。ガツガツ営業するより、自分の性に合っていると思ったんですね。それで、知見のある宝石の分野で、ミスターミニット的なお店をやろうと。


望月

仰るとおりです。とはいえ、ミスターミニットみたいな物件はなかなか借りられないわけですよ。JR本社に出向いて「駅ナカでこういう商売をさせてくれ」って頼んだんですけど、全然取り合ってくれなくて(笑)。

安田

ああ、門前払いされたと(笑)。確かに駅とかデパートへの出店は、かなりハードル高そうですもんね。それでどうしたんですか?


望月

色々回って、清澄白河でいい物件を見つけたんですけど、契約直前になって大家さんから「やっぱり親戚に貸すことになった」なんて言われちゃって(笑)。

安田

うーん。場所を決めるのも一苦労だ(笑)。


望月

それで結局、大塚からスタートすることになりました。土地勘もある場所だったし、いいかなと。

安田

なるほど。ちなみにミスターミニットを参考にしたということは、当初はリフォームよりも修理メインで考えていたんですか?


望月

ええ、そう考えてましたね。ただ、いざオープンしてみたら、意外や意外、リフォームの依頼がすごく多くて。

安田

へぇ。でも、壊れたところを直せばいい修理と違って、リフォームにはデザイン力が必要になりますよね。望月さんにはそういうスキルもあったんですか?


望月

実は独立した時から、宝飾品のデザイン画を書いていたんですよね。それを職人さんに渡して作ってもらって、商品として売ったりしていたので、一応のノウハウはありました。

安田

なるほど。今までの経験が活かされていることになったと。…そういえば、お店を作る資金はどうされたんですか? 当時はまだあまり余裕がなかった時代でしょう?


望月

ええ、なのでできる限りのことは自分でやってましたね。ホームセンターで安いタイルを買ってきて貼り付けたり、自分で壁に色を塗ったりして費用を抑えました。

安田

なるほど、DIYで作ったわけですね。


望月

そういうことですね。最初は「こんな素人が作ったようなお店にお客さん来てくれるのかな」って思いながら作ってましたけど(笑)。

安田

笑。ちなみに集客はどうされたんですか? チラシを配ったりしたんですか。「使っていないその宝石、新しいデザインに生まれ変わらせます!」みたいな。

望月

そういう宣伝はほとんどしなかったですね。どちらかというと、店の雰囲気づくりにこだわったというか。

安田

ほう、どんな雰囲気を意識されたんです?

望月

見せ方で参考にしたのは、あるパン屋さんですね。そのお店はパンをやくところをわざとお客さんから見えるようにしていて。

安田

ああ、ありますよね。実演販売的というか。

望月

そうそう。あの感じを出したいなと思ったんですよ。店先で職人が作業をしている雰囲気を出したくて、自分もエプロンなんか着ちゃって(笑)。外から見えるようにガラスの前に机を置いて、そこで簡単なデザインを描いたり、バフっていう宝石を磨く機械を知り合いの社長から買って、簡単な磨き作業をガーッてやったり。(笑)

安田

ああ、なるほど。パンではなくリフォームや修理をしている姿を見せるわけですね。それは確かに集客にも効果がありそうです。

望月

そうなんです。でも私は職人ではないので、本格的な加工なんて何もできないんですよ。
簡単な磨きの作業とか、まぁデザイン画も素人ながらなんとか描いていましたねぇ。とにかく今考えると必死にパフォーマンスしていました(笑)。でも、オープンしたら思いのほかお客様が結構来てくれたんですよ。

安田

へえ~すごいなぁ。でも、望月さん小売の接客は初めてですよね? すんなりできたんですか?

望月

いやいや、最初は慣れませんでしたねぇ(笑)。そもそも女性相手の商売が初めてだったので、ドキドキしながら「よくお似合いですよ」なんて言ったりして(笑)。

安田

そうかそうか、お店に来られるのは当然女性がメインになるわけですもんね。修理やリフォームを終えて宝石をお渡しする時は、そういう女性が喜ぶ接客が必要になると。

望月

そういうことですね。もともと宝石って女性のためのものではあったんですが、それまで取引してきたのは男性ばかりだったので。でも、そうやってエンドユーザーさんと直接関わるようになったのは、すごくよかったですね。

安田

というと?

望月

キレイになった宝石をお渡しするとね、本当に喜んでくれるんです。やっぱり女性にとって宝石って特別なものなんだなって、エンドユーザーさんと直接やりとりするようになって、本当によくわかりました。

安田

ははぁ、なるほど。

望月

全面的にリフォームした場合だけじゃなく、切れたチェーンを直すだけでも、「本当にありがとう」って涙ながらに言ってもらえる。なんて素敵な仕事なんだ、最高だなと。

安田

卸をやっていた時代とはぜんぜん違うと。

望月

正直、真逆の世界ですよね(笑)。卸をやっていた頃は「もっと安くしろ」「こんなの買い取れない」みたいなことばかりでしたから。

安田

なるほどなぁ。それでお客さんも順調に増えていったわけですか。

望月

そうですね。おかげさまで1店舗目からすごくうまくいきました。それを見ていた知り合いが、「いい物件があるんだけど1回見に来ない?」って誘ってくれて。それで行ったのが横浜の若葉台団地です。

安田

なるほど。2店舗目の候補地ということですね。

望月

そういうことです。で、その若葉台団地の物件がなかなかおもしろくて。というのも、若葉台団地ってものすごいマンモス団地で。住人は2万人くらいいて、中心部には大型スーパーや商店街もある。

安田

ほう、一つの街みたいなものですね。

望月

そうなんです。一方で、一般的な商圏ではないから進出していない業態も多くて、宝石屋もなかったんですよね。「あ、これはチャンスなのかもしれない」ってピンと来て(笑)。

安田

ははぁ、なるほど。それで2店舗目をオープンさせたと。それは1店舗目を開いて何年目のことなんですか?

望月

1年~1年半くらいですかね。手形商売と違って前金でもらえるし、そうでなくても1ヶ月後には基本的に現金が入るので、資金繰りもしやすくて。

安田

すごいですねぇ。あっという間に2店舗を運営する経営者さんになったわけだ。でもさすがに2店舗あると、全部自分でやるのは無理ですよね。

望月

そうですね。その頃からはかなりの部分を外注するようになりましたね。

安田

そうなりますよね。ちなみに、当時の月商、利益はどれくらいだったんですか?

望月

当時は売上が月100万~150万ぐらいで、利益は50~60万くらいかな。昔と同じジュエリーを扱う仕事でも、卸しの時代と違ってお客さんには喜んでもらえるし、現金での商売だし、全然違いましたね。

安田

なるほど、利益率もいいですね。かなり生活が楽になったんじゃないですか? 独立する前まではカツカツだったわけだし(笑)。

望月

そうですね(笑)。でも先ほども言った通り、仕事がすごく楽しくなって。だから休みなく働いてましたね。本当にいい仕事に巡り会えたなと思います。

 


対談している二人

望月 信吾(もちづき しんご)
ジュエリー工房リファイン 代表

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25歳で証券会社を退社後、父親の経営する宝石の卸会社に入るが3年後に倒産。その後独立するもすぐに700万円の不渡り手形を受け路頭に迷う。一念発起して2009年に大塚にジュエリー工房リファインをオープンして現在3店舗を運営。<お客様の「大切価値」を尊重し、地元に密着したプロのサービスを提供したい>がモットー。この素晴らしい仕事に共感してくれる人とつながり仕事の輪を広げていきたいと現在パートナー募集中。

 


安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 


 

 

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