その109 下積み

かつて、有名実業家が
「寿司屋の修行に10年かかるのは、業界が握るのを教えるようになっていないだけ」
「センスのほうが大事」
と、職人の下積みシステムを真っ向から批判して大いにバズったものです。

それからもう10年近く経ち、
職人仕事以外の一般サラリーマン世界ですら
管理をする側、教育をする側のほうが、非教育者に対して
コンプラ意識とハラスメント回避に細心の注意を払うことが
当然のように求められるようになっています。

それでも、職人的仕事は変わらず存在し、
そういった企業の多くが個人経営であることから、
人件費を払いながら教育を施していくという仕組みが
構造的にムリな場合がままある、というのも現実です。

最近、ある伝統芸能の下積みの話というのを目にしました。

師匠に入門を許可された後、
前座という名目の、会社でいえばOJTに該当する修業期間が3、4年あるそうです。
その間に業界のしきたりを学び、
自分の属することになった文化の基礎を習得し、
師匠の付き人をこなしつつ、(かなり狭い)周囲の人間関係に溶け込んでいく
といったことを同時に進めることが必要になるそうです。
当然というべきか、世間レベルの賃金など望むべくもありません。

一方、師匠の側も「マンツーマンで稽古をつけていく」という
かなりの重さのタスクを背負っています。
伝統芸能にとって世代をつないでいくことは重要な責務のひとつであり、
社会でビジネスとして行われている教育とは
直接プロを養成するという点で根本的に異質なものです。
芸事という特殊分野で生活してきたプロが
入門してきた時点では完全に素人であった人間を「金のとれる」レベルまで育成する、
それに要するコストは形にしたら凄まじいものであるに違いありません。

興味深いのは、その話を語っていた人物が、20代前半で入門したとき、
それほど才気が際立つようなところがないような青年だったことです。
プロへの準備をしていたわけでもなく、
もちろんそのジャンルを熱烈に愛好していたものの、単なるファンの一人に過ぎず、
また、中高年ばかりの古い世界で「うまいこと立ち回る」ことに長けた性格では
決してなかったようなのです。

修業期間は、やはりご本人には「地獄のような」期間だったそうですが、
芸人としては早々と頭角を現し、10年を経たずに若手スターになりました。

特別な業界のことで、芸に関して才能を秘めていたのは確かでしょうが、
事実上、数年でプロとして生きていくための素養を一気に身に着けたのです。

正直なところ、
成人して、人格的にはほぼ完成した人間がその速度で成長するのは、
令和社会の正しくコンプラな環境では困難ではないかと思うのです。

伝統芸能のガラパゴス性、師弟関係、前近代的で閉塞感が濃厚な人間関係、
下積み生活のそういった「歪み」「偏り」のどこかにこそ
本当の成長を誘発するカギがあるのではないか、と思えてならないのです。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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