大阪・兵庫を中心に展開する、高価買取・激安販売がモットーの『電材買取センター』。創業者である株式会社フジデン代表・藤村泰宏さんの経営に対する想いや人生観に安田佳生が迫ります。
第4回 ついに訪れた「大逆転」の兆し
前回のお話では、未経験の人を雇って育てても、仕事ができるようになるとみんな辞めていってしまうということでした。そんな状況でも藤村電気設備の事業は回っていたんですか?
いえ、全く(笑)。エアコン工事って、基本的に夏が稼ぎ時で冬が閑散期なんですね。つまり暇な時期は、夏で出た利益をやりくりしながら社員に給料を払うんですよ。それがだんだんショートしていってしまって。
なるほど。仕事を覚えた皆さんは、稼げる夏の前に辞めちゃうわけですね。
仰るとおりで。人さえいれば稼げる季節なのに、まともに作業できる社員が全然いなくて。それで当時の社員、38人の前で「このままだと会社が立ち行かなくなるから、来年からは、請負業者になってもらえないか」って頭を下げたんです。
社員として直接雇用するのではなく、業務委託の形にしてくれないかと頼んだわけですね。確かにそれなら固定費もかかりませんし、いい方法ですよね。で、うまくいったんですか?
いえ……その1年後、7割の社員が辞めていきました。
あぁ……そうなるのか……。ちなみにその時はどんな気持ちでした? 社員さんたちに、「この野郎」ってなりませんでした?
いえいえ、「まだまだオレの頑張りが足りないんやろうな」って思ってました。当時は朝7時から夜10時まで、元日以外はずっと休みなく働いていたんですけど、それでも足りんのやと。なのでそれ以降は、朝5時から夜中1時まで働くようになりました。
うーむ…それはたぶん間違った努力ですね(笑)。
なるほど。私に興味を持ってくださったのは、そういう経緯だったんですね。ちなみに何から始めたんですか?
まずはやっぱり人集めですね。で、当時ちょうど浸透し始めていた「ネット媒体」を使おうと考えていたところ、京都市が「優秀な学生」と「地元企業」を結びつける事業を始めてたんです。そこで出会ったのが、今ウチで執行役員をしている宇佐(うさ)で。
はぁ〜、そうだったんですね。じゃあ宇佐さんがネットを使った求人を担当してくれるようになったと。
そうですそうです。おかげで全国から人を集めることに成功しました。
素晴らしい。じゃあ次はその人たちに割り振る仕事を取ってくる必要がありますよね。それはどうしたんですか?
これまたちょうど同時期に、全国展開しているヤマダデンキさんとの取引をゲットできまして。群馬から熊本までのエリアでエアコンの配送と取付工事をやるようになったんです。
いい流れですね! ネットに詳しい宇佐さんに出会い、全国から職人さんを集めることに成功し、ヤマダデンキから大量の仕事を得られるようになった。
いや、本当に運が良かったです。ヤマダデンキさんの急成長に乗っからせていただいたおかげで、僕らの売上もどんどん伸びていって、最高で31億円。利益も1億6000万円くらい出てましたね。
1億以上の利益! それくらいの利益を出すのに、どれくらいの工事を担当されていたんですか?
多い時で1日1000台取り付けてましたね。ちょうどエコポイント制度ができて家電の買い替えをする人がものすごく増えた時期でもあって。ヤマダデンキさんとしても常に人手が欲しい状態で、結果、ものすごい数のお仕事をいただくことができたんです。
いやぁ、すごいですよ。藤村さんの経営者人生、はじめての大成功じゃないですか!
うーん、どうなんでしょうかね。今でも全く「成功した」っていうイメージはないんですけど…(笑)。
何をおっしゃいますか(笑)。破産寸前だったところから、しっかり借金も返済し終わり、年間で億単位の利益を出せるところまできた。これは素晴らしいV字回復ですよ!
対談している二人
藤村 泰宏(ふじむら やすひろ)
株式会社フジデンホールディングス 代表取締役
1966(昭和41)年、東京都生まれ。高校卒業後、友禅職人で経験を積み、1993(平成5)年に京都府八幡市にて「藤村電機設備」を個人創業。1999(平成11)年に株式会社へ組織変更し、社名も「株式会社フジデン」に変更。代表取締役に就任し、現在に至る。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。