その175 成長と環境

おそらくいつの時代も、仕事で若い人をもっとも引きつけるインセンティブは「成長」でありましょう。

現在の若い人がクールを至上とする価値観の持ち主で、出世したくない、会社の人とはお酒を飲みたくない、国はオワコンだし結婚もしたくないと表明していたとしても、自分がこれ以上成長しなくてもいい、という人はかなり少ないでしょう。

成長できれば会社や年齢に依存しない市場価値が高まり、それは社会で特にほかの役割を持たないことの多い若者であればイコール社会的価値でもあります。

長らく、年功序列を原則とする社会では、若い人と組織の間では、安く雇えて使い勝手のいい高コスパの若者に重荷を背負わせることが問題でした。それが、働き方改革やらコロナやらで少しずつモデルチェンジされつつあります。
環境のブラックさが薄まったところで、昨今では、過度にホワイトであることが若い人からすると「成長につながらない」と捉えられたりするそうです。
成長できない職場だと見限られてしまえば、離職を招きかねません。

コンプラを遵守し、精神的な圧力を与えたと受け取られないように心を砕き、結果、物足りないからと三下り半を突きつけられてしまうとしたら、そんな管理職の方には同情申し上げるほかありません。
ただ、そんな状況ですと、自然とひとつの問いが浮かび上がってきます。

「成長」って、結局なんなの、と。

昔、当時団塊ジュニアといわれていた世代が若いころ、就職難だった時代がありました。
それから何十年も経って、いまその年齢層を世代で呼ぶときは、団塊ジュニアではなく「氷河期世代」です。
そこでいわれるのは、若いときに正規雇用をされなかったことで低賃金労働から抜け出せず、生活の不安と困窮が現在まで続いている、というストーリーです。

そういう経験をしてきた方が多くいるであろうことは事実です。

一方、そのストーリーの中で暗に語られている、「良くなるべき環境がなかったことで良くならなかった」という筋道が、無条件に正しいかといえば、どちらともいえないものがあります。

職場がホワイトすぎて鍛えられる機会がないことも、非正規雇用で頑張っても報われることが最初から望めないことも、経済的なものを含めたすべての成長が「環境」から始まる、という前提から述べられているように思われます。

そして、よくわかりませんが、それだけは違うんじゃないのかなあ。

 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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