その183 専門家

人が世間で生きているということは、ある意味それだけでなんらかの専門家だ、ということができます。社会人ならその仕事の世界の、学生なら専修分野の、仮に社会活動をしていない人だとしても消費者としては専門的活動をしている可能性が高いものです。

わたくしは製造業の会社に勤務しているのですが、たしかに、そこでは「つくること」が中心に動いているというか、はっきりとそこにスポットライトが当たっているという空気感があります。

そして、そういった場所で長年勤めてきた人というのも、一種独特の雰囲気がある場合が多いように感じます。良くも悪くも、社歴を過ごしてきた期間に比例して、「つくること」に関する特定の分野に経験の積み上げがなされています。
具体的には、あるジャンルに関しては非常に詳しく、それは人格や思考プロセスにまで影響を及ぼしていて、かつ、そこから離れるとすべてが「専門外」になってしまうという塩梅です。

しかし、サラリーマンであれば部署異動で担当業務がまったく変わってしまうというのはいくらでもあることですし、自営の方であればなおのこと、社会のニーズというよりシビアな評価にあわせていかなくてはならないことでしょう。

そんなとき、いままで生きてきた場所と違う環境で、それまでの専門性を活かすことができるか。

おそらく、それはほぼ不可能です。

環境がそれまで、その人の専門性を育て、専門家として扱ってきたのは、目的に対してその知見が必要であったからです。
部署異動なりが生じた時点で、会社や組織はすでにこれまでと異なる動き、異なるやり方を指向しているのです。

比較的若い世代のかたを見ていると、スキルについての関心は特に高く、大昔を思い出してはこういうのは時代を超えて変わらないんだなあ、としみじみ思います。

まあ、単純に転職するにしても、新卒と違い、スキルは何?という話になるわけですしね。

ただ、日々がんばって生きる世界で接するあれこれを吸収して、それを成長に変え、「専門家」になったとき、それを自分のアイデンティティに据えてはいけないことだけは、どうやらたしかなようなのです。
 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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