一般的に、世の中では仕事における成長を仕事の成果と同じくらい珍重する傾向があります。この何十年何百年のあいだ、変化とスピードへの意識はより重くなることが前提で、軽くなることはないからです。成長しないことは、それは未来のどこかで自分の道が途絶えることだとされています。
しかし、「ちゃんとした」仕事のなかに、じつは成長はありません。
ちゃんとした仕事というのは、たとえば飲食業だとすると、お客さんに毎日同じもの、昨日と変わらないものを提供することです。
これが、「昨日はマズかったから今日はおいしくする」ではだめです。ちゃんとした仕事とはいえません。もし昨日マズければ、今日もマズくなければ。
なぜかといえば、お客さんがお金を出す対象がおいしい食べ物ではなく、「自分が知っていて期待しているアレ」だからです。そりゃあ新しくできたお店に何を出すんだろうという好奇心で行くことがあるかもしれませんが、それは一度だけです。その後の2回目3回目は初回に食べた記憶をたよりに来店するわけですし、20回目30回目はきっといつもと違うものを頼むことはないでしょう。
ちゃんとした仕事として人に求められているモノとは、いいかえれば「固定でくりかえし作られる価値」です。そこでは、ウマいとかマズいとかはひとつ次元が下の話です。
とはいえ、成長、つまり試行錯誤やリスクを取って新しい価値を生むことはなにより重要視されています。その不確実性は「挑戦」とよばれ、困難を承知でやらなければいけないこととされたりします。
しかしこの「挑戦」、リスクである以上は見るも無残な失敗で終わることも多々あるでしょう。そのときには敗北の感想戦を行わなければなりませんが、このときいわれがちなのが「それでも成長のタネになった」という総括です。
「なんの成果もあげられませんでした」とは、人はいいたくないものです。
思えば、そんな風にうまくいくかどうかわからない、賭けのようなことをするためのチップも、すべては日々の「固定でくりかえし作られる価値」から出ています。
毎日決まった場所へ通勤することにも似た、おもしろくなくて再現するだけの作業。
そんな「ちゃんとした仕事」が会社や組織を食べさせているのであり、またそこでは成長というものが発生することがないのです。
















