「ハッテンボールを、投げる。」vol.33 執筆/伊藤英紀
僕は子どもの頃から、
いばり系の親分肌の人や、
親分肌が幅を利かせるような空間は、
かなり苦手だった。
でも特に、反旗を翻すわけではない。
「あ、ここは気分が悪いなあ、ヤダヤダ」
とこっそり静かに逃亡するのです。
なにがイヤだったのか、
をツラツラと考えてみるに、
そんな場所にうかうかと
留まってしまえば、
きっと自分が
親分子分の圧力、
従属か敵かみたいな空気に
巻き込まれがちな
弱い人間だと、
知っていたからだと思う。
小学生のとき。
グループで悪いことをして、
先生にこっぴどく
叱られたことがあった。
一緒に悪さをしたAくんは、
その場面にはたまたま
居合わせなくて、運よく難を逃れた。
Aくんだけ、先生の怒声を
浴びずに済んだわけだ。
先生の叱責が終わり、
悪ガキたちだけが残されると、
親分肌は開口一番、こう言った。
「Aのヤロー、ズルイ奴だ。
あしたからあいつのことは
全員で無視するぞ!」と。
僕は、その思考回路と
感情の動きに、たまげた。
「え、なんでそうなるのお?!」
コント55号の欽ちゃんのように
心の中でずっこけた気がする。
参考)コント55号 https://www.youtube.com/watch?v=8dwPNYZQ4GQ/
先生の怒りはもっともだったし、
まあとにかく、叱責が終わり
ホッとしてニヤニヤしていた僕とは
ずいぶん違う。
「そうか、これがグループの契りか。
こういうのはやっぱりヤダヤダ。」
契りなんて言葉で思ったわけではないが、
たぶん、そんな心持ちだったと思う。
それからはグループと
ちょっと距離を置いた。
そしたらある日、
理由は忘れたが
今度は僕が
「お前とは絶交だ!」と
村八分の対象になった。
ちょっと寂しかったけど、
こう思い直した。
「まあいいや。これで、
せんべいかじりながら、
テレビで映画が見れる。
仲間ハジキも悪くない。」
昭和40年代は、
午後3時過ぎからだったと思うが、
西部劇や戦争モノの洋画が
テレビ放映されていたのだ。
しかし、のんきな映画鑑賞は
長くは続かなかった。
ある日、仲間たちが自転車で
僕の自宅に乗りつけて、
照れくさそうにこう言った。
「もう許してやるからな。」
なぬ!頼んでもいないのに!
一方的に和解を通告されたのである。
あーあ、少しうれしいような
ものすごくめんどくさいような。。。
余談が過ぎましたが、とにかく、
親分肌についていくとか
ヒエラルキーの絆を大事にするとか、
そういう力学に巻き込まれると
ロクなことがないぞ、
が僕の人生感覚です。
会社でいえば、
親分肌の経営者、
兄貴肌姉御肌の管理職、
強いリーダーシップってやつですかね。
これが、いつまでたっても苦手。
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