泉一也の『日本人の取扱説明書』第56回「不自由の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
日本は縛られた国である。四方を海に囲まれ、地震に津波に台風に火山に天変地異に苛まれ続ける。平野は狭く急峻な山々に囲まれ、そこを流れる川の氾濫によって、大水と土砂に埋もれた。まさに、天に地に呪縛された国なのだ。先祖たちはこの縛りを受け入れ、その縛りの中でも豊かに生きる知恵を見出してきた。
大地(地縁)を大切にし、そこで助け合って生きる仲間(血縁)を大事にした。その根幹を作ったのが、武士と天皇である。土地を守る武士たちが地縁を担当し、天皇が血縁を守った。武士たちは土地を介して忠義という縛りの中で生き、忠臣蔵に見られる仇討ちまでしてそこに美を見出した。天皇は姓を持つことも、職業を選ぶことも、移住することもできず聖なる存在となって祈りの中で利他に生きた。それを見習った民衆は、故郷の地(地縁)と家(血縁)を大事にした。
その地縁と血縁の不自由社会は、自由の国との全面戦争にてボロ負けをし、無条件降伏をした。そして雪崩のごとく自由の価値が入ってきた。自由こそ全てだと。自由の本家は国民一人一人が銃を手にして自由を勝ち取ったが、日本人は自由を勝ち取っていない。無条件で自由を与えられた不自由の民。行く末は容易に想像できるだろう。
そう、自由を勝ち取らず、地縁と血縁を失った自由社会を今我々は生きている。子供に「素晴らしき自由」を与えようと親は子供ファーストで「選択権」を無造作に与え、無責任な利己主義に育成してしまった。そうやって育った人材たちは、社会に出て困り困らせる存在になる。彼らは自由の価値を知っているのに自由ではない現実の鬱憤を晴らそうと、ネットという公の場で自分を匿名にして実名を挙げて批判する。自由に発言する権利を持っているものだと信じて。
自由を勝ち取り、自由と責任を持って生きたのは近代でいうと外国に移民した日本人たち、蝦夷地の開拓民たちである。彼らは、故郷という地を捨て、家族を捨て、新しい地にて仲間たちと自由を勝ち取った。地縁と血縁を新天地で築いた彼らこそ、自由の民である。自由の本家の国民と同じである。
不自由の国が無条件で自由の国に変えられたことで、無責任の利己主義がはびこるようになったが、たった80年程度のことである。それまで何千年間もかけて養った不自由の知恵がまだまだ深いところで残っている。日本人は制約条件の多い中でこそ仲間と知恵を生み出す能力が高い。その能力を開花すればいいのだ。制約条件の中で仲間と知恵をだす。そこに小さな豊かさと幸せがあると氣付いたとき、能力は一氣に開花しはじめる。
6年前ロサンゼルスにて日系人向けの場活セミナーをした。一番後ろの席にいた恰幅のいい老人が、セミナーの途中から涙を流していた。不思議に思ったので、セミナーが終わって声をかけるとそのご老人は言った。「アメリカの地で日本の価値を知るセミナーに参加できて嬉しくて自然に涙が出てきた」と。その方はニューヨーク在住の画家で、若い頃日本では認められず米国に渡り成功したそうである。「絵を描いていると自分の根っこが日本人であることを強烈に感じるんですよ」この言葉が忘れられない。
不自由を与えれば開花する日本人。カリキュラムも課題もなく、指示と評価をしてくれる人もいない不自由な世界。今、日本人の潜在能力を開花する方法は、新卒採用を撤廃し、社会人になる時に全員に起業させることである。もちろん新事業を立ち上げなくとも個人事業主となり企業から業務を請け負えばいい。その不自由極まりない状態で社会に送り出し、そこで幸せに生きられるよう家庭に学校に社会が全力で支援をしていく。不自由な環境の中で自由を勝ち取る経験を若い時にさせることこそ、親の責任なのだ。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。