「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
57通目/安田からの返信
「確かにそうなんですよね。でも・・・」
意欲があるから動くのか。動くから意欲がわくのか。う〜ん。確かに後者の方が多い気がしますね。楽しいから笑うのか。笑うから楽しくなるのか。これも同じですよね。嘘でもいいから笑ってると健康になると聞いたことがあります。実際に「わははは、わははは」と5分ほどやったら何やら楽しくなりました。しかしながらですね。まず動け。とりあえず行動せよ。というのがどうしても好きになれないんです。だって何も考えずに行動したまま、ずっと何も考えずに生きている人がすごく多いですから。行動によって脳が騙せるとも言えますが、行動によって脳が思考停止になる人もいる。これはどうしたらいいのでしょう?
前回56通目/大野「どんなに無様でも」
いくつかの観点がありますが、あえて言えば、音楽家がステージに上がって演奏で魅了する方法、つまり練習すること。そんな表現になります。
もっと露骨に言えば、座して死すより、どんなに無様でも挑戦する。ぶちのめされる。どんなに無様でも立ち上がる。そして、どんなに無様でも挑戦する。ぶちのめされる。しかし、どんなに無様でも起き上がる。…それはやがて生き様となる。その過程で思考され、出会い、感じ、信じ、確信し、見えてきて、イメージされ、言語化されていくのだと思います。詳細は省きますが、脳の構造上、例えば、意欲があるから動く、ではなく、動くから意欲がわくという順番らしいですし。安田さんはどうお考えですか?
ー大野より
前々回55通目/安田「人は可能性を認識できない」
人は目に見えるものでないと、その存在を捉えることができません。言葉にできるものでないと、その存在を定義することができません。だからどうしても「見えるもの・言葉にできるもの」に縛られてしまう。これは仕方のないことだと思います。問題はその「縛られている自分」に気がつくかどうか。今の自分には見えないもの。言葉にできないもの。そこにこそ無限の可能性がある。それは事実だと思います。ただしその可能性を引き出すのは簡単ではありません。なぜなら人は見えるものしか信じないし、言葉によってしか思考することが出来ないから。この縛りを振りほどく方法があるのなら、ぜひ教えていただきたいです。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto. com
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/