「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
60通目/大野からの返信
「思考停止になっていくパターンは割と」
改めて考えると、僕たちが容易に思考停止になっていくパターンは割とありますね。習慣という名の思考停止。答え探しという名の思考停止。知ってるという名の思考停止。素直という名の思考停止。惰性という名の思考停止。疲弊という名の思考停止。諦めるという名の思考停止。投げやりという思考停止。見えない聞こえないふりという名の思考停止。信念という名の思考停止。価値観という名の思考停止。判断や評価という名の思考停止。信じているという名の思考停止。信じないという名の思考停止。満足という名の思考停止…。まずは行動という人の大半が思考停止になって行くとしたら、これらのどれかに陥っているという事ではないでしょうか。
前回59通目/安田「理屈ではそうですが・・・」
好きの反対は嫌いではなく無関心。だから好きと嫌いは紙一重である。成功の反対は失敗ではなく行動しないこと。だから成功と失敗も紙一重である。ここまでの理屈はよく分かります。では「思考すること」と「思考しないこと」も紙一重なのか。大野さんの言い分はこうですよね。「思考していないことを自覚していれば、それは思考停止ではない」と。なるほど確かにそうかもしれません。とりあえず行動するけど、それは自分の意思で考えることを後回しにしているだけで、思考停止ではないと。そういう理屈は成り立ちます。が、現実問題として「まずは行動」という人の大半がそのまま思考停止人間になって行く。これはどういう理屈なのでしょうか?
ー安田佳生より
前々回58通目/大野「考えているの反対の極は考えていないではない」
仰られることはよく分かります。
ただ、すぐに行動する=何も考えていない=思考停止でもないですし、行動する前に考える=しっかり考えているともなりません。考えているの反対の極は考えていないではなく、実は、考えている、考えていないはむしろ同じ極で、対極にあるのは、自分の頭で考えていることをあるいは、考えていないことを知っているか?知らないか?なのではないでしょうか。成功の反対は失敗ではありません。何もしないことです。このように思考停止の対極は思考しているではなく、自分に見えていないものがあることを知っているか?です。それを見ようとすることが考えること。即ち考えることは生きることそのものだと言えます。
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/