「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
166通目/大野からの返信
「お金の多寡によってコロリと変わるようなものだったら、それはまがい物」
本心の目標、これは重要ですね。本人すら気づかないままに建前の目標に向かって生きるケースってありますものね。でも実は裏っ側で本音の目標がその建前の目標達成を阻害する。本人に気づいてもらいたいから。そういう意味では、自己認識する努力はかなり重要だと思われます。そして、何があなたにとって一番大切か?という問いと向き合い、その答えが何であれ日々それを大切に生きる事こそが、キラキラの源になる。幼稚園生でも言える好きとか嫌いが大事。でもその好きや嫌いのレベルが、例えばお金の多寡によってコロリと変わるようなものだったら、それはまがい物。もっと普遍的なその人が生まれながらに持っている在り様みたいなレベルの話。
前回165通目/安田「それは本心なのか」
ねばならない=したいの裏返し。ということでしょうか。確かに「ねばならない」という言葉を使うとき「こういう自分になりたい」という気持ちが強い気がします。でも何となく、何かが違う気がする。それは無理しているかどうか。心がキラキラ輝いて、自然とエネルギーが湧き出すような「こうなりたい」ではなく、心が追い詰められて、無理やりエネルギーを絞り出す「こうならねば」になっている。もはや自分の意思ではなく「周りからの期待に答えねば」「周りの評価を覆さねば」というネバネバモチベーションになっている。それは自分の心が欲しているものなのか。本当にそうなりたいのか。なれるかどうかよりそっちの方が重要な気がします。
ー安田佳生より
前々回164通目/大野「なれるはずの人間になる事を妨げる状況」
自由であらねばは最早自由で無いですからね。そして「ねばならない」を使っているだけで、よくよくしっかり見つめてみると、ちゃんと「したい」が隠れていたりもします。それを置き去りにしているだけの時も。何にせよ、過去がどうであれ、「したい」にチューニングして生きたいです。ここで重要になるのは、現状がどうであれ、それはこれまで学習してきた事を測るものであって、これから何を成し遂げるか?を測れるものではない。なぜなら、もし僕がコーチとして、例えば誰かの「したい」に対して、必要な資質がその誰かは欠けていると判断すれば、その誰かのなれるはずの人間になる事を妨げる状況を生み出す後押しをしていることになります。
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/