197通目「ほんとその通り」安田

人間交換日記
「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


197通目/安田からの返信 「ほんとその通り」

自分の心の声に従えばいい。ほんとその通りなんですよ。だけどそれができないから、みんな苦労してるわけです。ではなぜ自分の声が聞こえないのか。それは聞こえなくなるような環境で育っているからです。これはもう本人の責任ではない。心の声が「がんばれ」と言うなら頑張ればいいし、「がんばらなくていい」と言うなら頑張らなくてもいい。だけどそれができない。自分の声だか誰の声だか分からない声で「もっとがんばれ」と言われているように感じるから。やればできる。努力は報われる。できないのは自分の問題である。この価値観があまりにも強い。だからバランスを取るために「そんなことないよ」と思えるストーリーが必要なのです。

前回196通目/大野「この前提の違いはデカイ。」

安田さんへ

質感が違うなぁ。根本的にポジとかネガで括られていますが、僕はそこに過剰な思い入れが一切ない。特に念押ししたいのは、誰も他人の可能性を正しくは判断できないという部分だけなのです。だから、無理するなって他人に言葉をかける前提には、その人よりその人の限界を分かっているという驕りを感じてしまうわけで。仮に同じ押しつけでも例えば、頑張れには限界を分かっているという前提はない。この前提の違いはデカイ。あとは、自分の内部対話においてどの声に従いたいのか?だけ。ただ自分の可能性すら正しく判断できていないという本質からすれば、弱い部分を認める事も含めてですが、考え方の再検討はポジであれネガであれし続ければ良い。

ー大野より

前々回195通目/安田「まったく同じ」

大野さんへ

皮肉なことに私の結論もまったく同じです。その人の可能性を広げているように見えて、じつは自分の価値観を押し付けているだけ。努力は必ず報われるとか。限界は自分で決めているだけとか。すべての人には無限の可能性があるとか。その人を励ましているような言葉の前提に、すべてはあなた自身の問題だと突き放している冷たさと、努力次第でどんな壁でも超えられるという驕りを感じます。私はやたらとポジティブな言葉を使う人が苦手なのです。自分が弱いことを認められない。それを正当化するために他人にもポジティブを求めてくる。自分の可能性を信じるのは素晴らしいことです。でもそれを他人に押し付けるのはやめてもらいたい。

ー安田佳生より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。 2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち) 株式会社一番大切なこと 代表取締役 https://ichibantaisetsunakoto. com https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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