その120 人間五十年

<人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり>

織田信長の「敦盛」であまりにも有名なフレーズになぞらえるように、
わたくし若いころから、人間の寿命は基本50年くらいだと思っておりました。

日本が世界でも一、二をあらそう長寿国であることは承知しておりますが、
逆に、社会構造や環境がまったく違う国では
平均寿命もまったく異なっているわけです。
大変寒くて、ウォッカがたくさん飲まれることで有名なある国の男性の平均寿命は
現在でも70歳未満、20年前では60歳に届かなかったといい、
さもありなん、という気にさせられます。

「人間とはふつう80歳まで生きるもの」
と日本を基準に考えるよりは、
「人間は環境によっては80歳まで生きるポテンシャルがある」
と認識するほうが自然なわけです。

また、いかに老境まで人生を充実させるかということを議論したところで、
生物としてのピークが二十代の半ばくらいまでに訪れることは明白であり、
あとはどれだけ劣化を食い止めるかという視点になります。

長寿化もあり、社会的価値ではピークはもっとあとになりますが、
それでも三十代前半までにはほとんど完成しているのではないでしょうか。
経済的な意味をふくまず、
人間としての資産価値が雪だるま式に拡大を続けていくのはごく一部の人であり、
ほとんどの人がそのころになると社会的な価値を測るには
「どんなストックを持っているか(持ってきたのか)」
で判断されるようになるのですから。

野生の生物が、繁殖を終えたり同種間の争いに負けたりしたら
現世からドロップアウトしていくことにくらべれば、
社会と環境をたよりに長い長い余生を生きぬきうる、というのは
地球の絶対権力者、生物界の暴君、人間さまの驚異的な特権というほかありませんが、
ひとつの生き物としては
ピークまで25年かけて上がっていき、
同じ時間をかけて終わっていく、すなわち50年パッケージくらいの寿命設定が
種としての「身の丈」なのではないか、個人的にはそんな風に思っております。

そして、実際、わたくしもだいたい50年生きまして、
「いや、そんなことはない、アレは若気のいたりだった」と
自分がその年齢になると定年制の案を撤回する政治家のようなことを
幸か不幸か思うこともありません。
そういえば半世紀経っちゃったな…どうしようかな…と思っていた矢先のことです。

<人間五十年>の「人間」が実際は「じんかん」と読み、
「下天」という仏教に出てくる異世界と比べたら時間の流れが超早いぜ、
人間界の50年なんか下天のなかじゃ1日だぜ、いやはやはかないもんだぜ、
といっている意味だと最近知りました。

寿命のハナシじゃないじゃん……。

 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

1件のコメントがあります

  1. とても同感、良いコラムですね。
    50歳には後塵に譲る仕組みが適切かと。

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