試合を控えたとある格闘技の選手が、インタビューで、
「こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、オファーを受けたときは、その試合、メリットある?デメリットしかなくない?と思ったんですよね」
「でも、前に自分と戦った何々さんが今の自分と同じ、メリットない立場で受けてくれたことを思ってやることにしました」
というようなことを語っていました。
格闘技のように時間をかけて身体を作り、一対一で行い、勝った方が全部を持っていく、という特殊な世界では、たしかに誰と自分と組み合わせが試合という商品になるのかは、その価値を大きく左右するファクターです。
今回の例では実力差が明白というほどでもないことがあり、正直、小心なわたくしとしては、特定の人に対して堂々と「メリットある、ない」を公言しているだけで少々どきどきしてしまいます。
対戦相手の人は、自分より価値が下である、と宣言しているのに等しいからです。
一般の仕事の世界では、「メリット」は経済的な価値を指します。
フリーランスで仕事をされている方が、あるオファーを受けたとして、報酬はもちろん、相手との関係性、自身のスキルとの相性など、複数の要素をあわせて考慮した結果、経済的な価値が最大化すると思われる判断を行う、というのが合理的といえます。
今後の付き合いを考えるとやっておくか、ということも十分ありえますし、報酬は高いけれどあまりいい未来が見えない場合は避けた方がいいのかもしれません。
では、サラリーマンなど被雇用者の場合はどうでしょう。
こちらになると、さらに「メリット」の損益分岐はあいまいになってきます。そもそも形態的に指示は原則通ることになっていますし、一方で被雇用者がいかにローパフォーマーでも賃金を完全に比例させることはかなり難しいと思います。
これができたらボーナスを出す、などといえるはずもない使う側が、スキルアップを餌にするのは若い人を釣る常套手段ですが、ちゃんと餌を食べられた人は、もっと「メリット」が明朗会計になっている環境に移動することでしょう。
いずれにしても共通しているのは、いろいろな要素の落としどころとして、関係者の価値の最大化を志向してこそ、「メリット」を意識する意味があるということです。
たとえば、同じ組織に気難しい同僚がいて、口癖のように「メリットがない」と言うとしたら、イラっとしない人はいないでしょう。それは、その人にやる気がないからではなく、その時点で全体の価値を毀損しはじめているからです。
……そして、最初の格闘技の選手も、たしかにそんなことを言うべきじゃなかったんじゃないかなあ……。