その150 古典になれるか

動画サイトを見ると、わたくしくらいの中年・初老が子どものころにやっていたテレビ番組が、けっこういろいろとアップロードされているものです。
著作権上の問題はともかく、当時は高価だったはずのビデオテープに誰かが残して保存している(そしてマメにWEBに乗せかえられている)ことには感心させられます。

そこまで昔ではないにせよ、2、30年前の、とくにお笑いなどのエンタメジャンルでは、それに対する現在の視聴者の反応に一定の傾向があり、興味深いものがあります。

端的には、頭をバシっと叩いちゃいけないとか、性の扱いに関して今ではハラスメントに抵触するとか、そういうことです。

2、30年前というと、そこに出ていた演者がいまも現役で活躍していたりするくらいの微妙な過去の時代です。
その間に社会のルールが動いて、それにあわせて人々が生活しているうちに、たとえば頭をバシっと叩く動作に対して起こる反応が、笑いから眉をひそめるに変わる、といったことが起こったわけです。

それが良いことなのか悪いことなのかはわかりません。

ただし、もう笑うことはできないとみなされれば、たとえ映像が残っていたとしても、お笑いとしての価値は失われてしまうでしょう。

一方、同じような過去のコンテンツで、作品名をいってしまうと「ガンダム」というアニメなのですが、1979年に作られた最初のテレビ放送のシリーズの人気がとくに高く維持されています。

大昔のものなので、ファンの中枢も昔の人間たちで、個人的には中身は正直よくわからないのですが、分析だとか、解釈だとか、そこにこめられる熱量が膨大なものがあることがなんだか伝わってくるものがあるのです。

しかし、そうはいっても半世紀近く前に子ども向けに作られたもので、いかにおもしろく魅力があっても、現在は消費されつくして「オワコン」であることが娯楽作品としては自然なはずです。

それが、いまに至るも鑑賞され語られ、今風にいえば「こすられ続け」てなお、存在感を失っていません。
そのことがなにを意味するか、といえば、おそらくそれは「古典になりつつある」のです。
時代と価値観の違う人間の目にさらされて、それでも人々の関心を得ることができるか?という、エンタメから古典に脱皮するための工程にある稀有な一例を、そこに見ることができるのです。

……まあ、ファンが代替わりしなくてそっちでオワコン、という可能性もかなり高いのですけれど。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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