その38  おっさんという名の病

いまのテレビの世界で価値の基準になるのは
昔ながらの視聴率、世帯単位の視聴率ではなく、
若年層を中心にすえた個人の視聴率なのだそうです。

通信販売と健康食品でできているような様相の現在でも
若い人を取りこんで未来を作る以外に道はないというのは、
人間社会の経済行為としては
いたって正論であり
ごもっともでありますが、
ふと、縮小しつづけるパイをそこまで追わなくてはならないのはなんで?
と思わないでもございません。

子どもと若者が社会の希望であることは
非感情的な価値判断において純然たる事実でありますが、
感情的な、生理的な切り口でべつの意味があるのではないでしょうか。

すなわち、誰もが若いもの、美しいものが好きで、
そちらを向いて生きていたいという本能的欲求があるのです。

おっさんという社会の層があります。

ご存じの方もあるかもしれませんが、
ジェンダーが男性であり、年齢が若年でなく、
また老人ともいえないという層のことです。

この数十年でも社会の変化があるので多様化はしていますが、
いつの世もこの人たちは力があっていばりつづけており、
面と向かって言われませんが、原則的に嫌われています。
一方、財産も無形資産も持っていない、いばれないおっさんもいます。
昨今のスラングでは弱者男性などといわれています。
この人たちもふつうに嫌われています。(または誰の視界にも入りません)

なぜおっさんが嫌われるのか、
それはいばっていたり持たざる者だからではなく、
どうすることもできないほど絶対的に
「若くなく、美しくないから」
です。
にもかかわらずすべてのおっさんは
「若く、美しいものが大好き」
です。

いばれない弱いおっさんですら
若く、美しいものが結局は好きで、
そうでないものをちっとも好きでないのです。

ですのでむしろ、おっさんという人間区分がそんな傾向だというより、
自分が若くなく、美しくないにもかかわらず
若く、美しいものを追いつづける欲求そのものが
人種・世代・性別・ジェンダーを超えた
おっさんなるもの
といえるのではないでしょうか。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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