1990年代から2000年代初頭くらいまで、ジーンズのブームが長く続きました。
今はさえないオッサンのわたくしも、当時はさえない若者でした。
ジーパンとかが流行っているのは知ってはいたのですが、それを扱っている店に入ると、一本のズボンに2万とか3万とかの値札が平気でついていたものでしたから、尻尾を丸めて出ていったものです。
しかも雑誌を見たところによると、数万円するジーパンはじつは昔のアメリカのジーパンを似せて作られた日本製で、「本物」はケタがひとつ違ってもおかしくないとか載っていまして、いや色々おかしいよ、と絶望したものです。
しかしジーパンはジーパン、安価なアジア製なら近所の大型スーパーの2階で数千円で売っていたわけで、「似せもの」の日本製だって高すぎたわけですが、それは実際に履きこんでいくと違いがわかるのだとメディアでは説明されていました。
スーパーで売っているものと専門店のもの、その差は端的に「作られ方」なのだそうです。
アメリカでおもに1960年代ごろまでに生産されたジーンズをモデルにして、その製造工程を再現したものが、専門店にあるこだわりの日本製ジーンズでした。
ジーンズは大衆衣料ですから、時代が進めば製造が効率化され、コストダウンも図られていきます。技術的には進歩している一方で、
「何かが足りなくなってしまった…」
という、審美的な探求が日本製のジーンズを生み出したようです。
もっとも大きな違いは、生地のデニムの織り方です。
デニム生地は最初に洗ったときに大きく縮み、またねじれます。買ったときにぴったりのサイズのものが、洗うとワンサイズ変わってしまったり、側面の縫い目が正面に見えてしまうのは問題ですから、一度洗いをかけたり、加工してねじれなくします。
そうやって進歩の結果により履きやすく、歪みを抑えてきれいに作られた結果、のちのマニアには物足りないものになってしまったのです。
いにしえの製造法で作られたジーパンにはいくつもの特有の特徴がありますが、そのうちのひとつはスソの部分に現れます。
最初の洗濯で生地が急激に縮むことにより、スソのところがロープをねじったような、ウネウネした立体的な形状になります。
つまり、それを見ただけでそのジーパンがこだわって作られたものだとわかります。
と同時に、なんの機能を持つわけでもない、些細な差異であることも事実です。
誰かが仮にそのことを知っても、関心がなければ、ムダに高いだけの代物にすぎません。
そしておそらく、それらをひっくるめて言葉にすれば、「文化」というのに違いないのです。

















