その89 包装と本体

モノを買ったら、たいていの場合包装されています。

包装が過剰なのは悪いこと、という風潮はごく最近のことで、
それはいわばぽっと出の、うすっぺらい、いつ風向きが変わるとも知れない
流行りのノリでありまして、
人間本来的には包装は中身を保護する目的を超えて
それがどれほどの価値を有するものかを示すものである、
という感覚がまずあるはずです。

中身の価値が高い(とアピールしたい)ほど包装は豪華になるのは
古今東西を問わない社会の法則のひとつです。
だからこそ
贈答品のメロンが分厚い木箱に入っていたり
がっちり包まれた商品をさらにおしゃれな紙袋に入れたり、
またブランド店の店内が人だけ置いてガラガラなのも「空間」という包装ですし、
ついにはタワーマンションのエントランスがホテルのようになったり
国家や組織のえらい人がイベントにおいて
周囲に立っているだけの大量の人員を動員したりするわけです。

その最たるモノのひとつが「高級腕時計」であります。

腕時計など、それ自体は茶封筒に入る大きさのものですが、
どのメーカーも凝りまくったデザインのクソデカく重たい箱に入れて提供しています。
そしてグレードによってその程度は大きく変わります。
暗に「価格が高いものはそれほど価値があるのだ」と主張しているのです。

先日わたくしは長らく一本だけ持っていたロレックスを売ってきたのですが、
買ったところがまあ手放すのもスムーズであろうという理由で
東京の中野という街に赴きました。
その街にある、狭い、年季が入った雑居ビルの中に
さまざまな中小自営業者が営むブランド時計店が軒を連ねる有名な一角があり、
そこでは都心の一等地や百貨店一階の直営ショップとはまったく違う論理で
ロレックスやそれ以上の高級時計がぐるぐると売買されています。

ショーケースには数十万円からの時計が密度濃く並べられ、
ケースから出された商品が目を離されることこそありませんが
女性の店員さんが複数の時計が乗ったビロードのトレイを両手で持って
雑居ビルの通路を移動しているのを見かけたりは普通にします。
また、どんなに小さな店舗にも紙幣の計数機はすぐ手の届くところに置かれ、
百万円ごとに輪ゴムでまとめられて扱われます。

わたくしもそんな店舗のひとつで売却を行いました。
専有面積が吉野家と同じくらいの広さのカウンター席に座ると、その左横では
自分と同じような客に紙幣の計数機で輪ゴムの百万円と数十万が渡され、
右隣りでは中国人客が無造作に金無垢の時計をトレイに載せていました。
その周囲は買い物、冷やかしの客でごった返しています。

それはドアマンを置くことであえて敷居を高くするブランド店の対極にあります。
しかし、そこで皆が求めているのは
機能では千円の電池式時計にも劣るゼンマイ仕掛けの嗜好品なのです。

環境、接客、雰囲気という
ブランドという存在が持ちうる最強の包装が身もふたもなく剥がされた場所で、
人びとがブランドに群がる。

モノの価値の本体とは、一体なんなのであろう、と考えざるをえません。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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