SCENE:021
HR特別室に戻ると、いつもソファでうつらうつらしている室長が、珍しく慌ただしげに動いている。ジャケットを着て、鏡の前でネクタイを締めようとしているではないか。
「あれ、どこか行かれるんですか」
「ああ、うん、ちょっと病院にね」
病院? どこか具合でも悪いのだろうか。そんな風には見えないが……。聞いていいものか迷っていると室長はビクリと震え、「ああ、びっくりした」と言ってポケットから携帯電話を取り出した。
「いきなり鳴るから嫌だよね、電話って」
いや、いきなり鳴らない電話などないだろう。しかもバイブにしているから、厳密に言えば鳴ってはいない。
「はい、宇田川です。ああ、社長! どうもどうも。え? ええ、いや、そんなの全然お気になさらず、ええ、今から伺いますので」
考えてみれば、室長は少し島田に似ている。小太りな体型も、とぼけた話し方も、異様な呑気さも、俺と話が噛み合わない所もそっくりだ。もっとも、まがりなりにも入社時から3年間を一緒に過ごしてきた島田と違い、俺は室長という人間のことをまだほとんど知らないのだが。
「ねえ、君……ええと……」
「村本です」
「ああ、そうそう。村本くん。悪いんだけど、ネクタイ締めてくんない?」
「は?」
「昔から苦手なんだよねえ。何度教えてもらっても上手に結べないんだよ」
「……」
なんなんだこの人。
仕方なく言われた通りにしてやると、「ああ、上手上手。やるねえ」などと無邪気にはしゃぐ。俺より一回り、いや二回り近くは上のはずなのに、まるで子どもみたいだと思う。
「よし、じゃあ、行こうか」
「は?」
「は? じゃないよ、研修だよ研修」
「いやだって、病院に行くってさっき……」
「うん、アポ先が病院なんだよ」
ああ、そういうことか、と納得する。俺たち求人業界は、人を採用するすべての会社がクライアントになり得る。飲食業、製造業、士業、そして、医療業。実際、病院、歯科、接骨院、薬局、あるいは老人ホームやデイサービスといった介護施設などとの取引も実際多いのだ。
だが、ここはHR特別室。俺の予想を常に裏切ってくる。
「約束してた社長が入院しちゃってさあ。病室で商談しようって言うもんだから」
(SCENE:022につづく)
児玉 達郎|Tatsuro Kodama
ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。
お仕事のご相談、小説に関するご質問、ただちょっと話してみたい、という方は著者ページのフォームよりご連絡ください。