これからの採用が学べる小説『HR』:連載第13回(SCENE: 020-21)【第3話】

 


 SCENE:021


 

HR特別室に戻ると、いつもソファでうつらうつらしている室長が、珍しく慌ただしげに動いている。ジャケットを着て、鏡の前でネクタイを締めようとしているではないか。

「あれ、どこか行かれるんですか」

「ああ、うん、ちょっと病院にね」

病院? どこか具合でも悪いのだろうか。そんな風には見えないが……。聞いていいものか迷っていると室長はビクリと震え、「ああ、びっくりした」と言ってポケットから携帯電話を取り出した。

「いきなり鳴るから嫌だよね、電話って」

いや、いきなり鳴らない電話などないだろう。しかもバイブにしているから、厳密に言えば鳴ってはいない。

「はい、宇田川です。ああ、社長! どうもどうも。え? ええ、いや、そんなの全然お気になさらず、ええ、今から伺いますので」

考えてみれば、室長は少し島田に似ている。小太りな体型も、とぼけた話し方も、異様な呑気さも、俺と話が噛み合わない所もそっくりだ。もっとも、まがりなりにも入社時から3年間を一緒に過ごしてきた島田と違い、俺は室長という人間のことをまだほとんど知らないのだが。

「ねえ、君……ええと……」

「村本です」

「ああ、そうそう。村本くん。悪いんだけど、ネクタイ締めてくんない?」

「は?」

「昔から苦手なんだよねえ。何度教えてもらっても上手に結べないんだよ」

「……」

なんなんだこの人。

仕方なく言われた通りにしてやると、「ああ、上手上手。やるねえ」などと無邪気にはしゃぐ。俺より一回り、いや二回り近くは上のはずなのに、まるで子どもみたいだと思う。

「よし、じゃあ、行こうか」

「は?」

「は? じゃないよ、研修だよ研修」

「いやだって、病院に行くってさっき……」

「うん、アポ先が病院なんだよ」

ああ、そういうことか、と納得する。俺たち求人業界は、人を採用するすべての会社がクライアントになり得る。飲食業、製造業、士業、そして、医療業。実際、病院、歯科、接骨院、薬局、あるいは老人ホームやデイサービスといった介護施設などとの取引も実際多いのだ。

だが、ここはHR特別室。俺の予想を常に裏切ってくる。

「約束してた社長が入院しちゃってさあ。病室で商談しようって言うもんだから」


SCENE:022につづく)

 


 

著者情報

児玉 達郎|Tatsuro Kodama

ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。

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