そこから十分ほどかけて俺たちは工場内を回った。室長は相変わらず質問を連発していたが、高本の方は明らかに口数が少なくなり、同じような返答を繰り返すばかりになった。
工場を一周りして入り口まで戻ってくると「ほら、もういいだろ」と高本が言う。
俺たちはまるで生け簀の魚のように高本の巨体で工場を追い立てられ、事務所との間の通路に出た。
「ほら、グズグズすんな。事務所に戻れ」
だが室長は立ち止まり、くるりと振り返って、とんでもないことを言った。
「仮にあなたが辞めるとした場合、どういう人が必要ですか」
高本の顔が一瞬で凍りついた。
「なに?」
「だから……あなたが辞めた後にですね」
信じられないという驚きの表情が、ゆっくりと怒りに変わっていく。
「……辞めねえって言ってるだろ」
「ええ。ですから、仮に、ですよ。どういう人ならここで活躍できるんですか」
室長の言葉に高本はまた舌打ちをする。だが、もう声を荒げることはしなかった。この変人につっかかっても意味がないと理解したのだろう。
「別に……特別必要な知識なんてねえよ」
「もうちょっと詳しく教えて下さいよ。あなたがこの仕事に一番詳しいと言うから、こうして案内を頼んでいるわけで」
高本は自分を抑えるため、というような大きなため息を漏らすと、「だから……」と続ける。
「だから……別に何か経験がなくたっていいつってんだ。工業高校卒とかなら御の字さ。だいたい俺だって、完全な未経験から始めたんだ」
「ふむ。じゃ、労働環境はどうなんです? 最近じゃブラック企業撲滅! なんて動きも盛んですけど。御社はブラック企業なんですか?」
思わず俺は吹き出してしまった。御社はブラック企業なのか、などと正面から聞く営業がどこにいる。そんな俺を高本が忌々しげに睨む。俺は「あ、すみません」と咄嗟に言ってごまかしの咳払いをする。室長は俺たちのやりとりを意に介することもなく答えを促す。
「残業時間とか、月平均で言うとどれくらいんなんでしょう。休憩の取り方とか、有給はちゃんと取れるのかとか……」
高本はまた溜息を漏らし、呟くように言った。
「……そういう目線でしか見れねえやつは伸びねえよ」
「ん? どういうことです?」
「だから……本人の視点がどこにあるかで、印象は全然違うってことだ」
「ちょっとわかりませんね。説明してもらえませんか」
「……例えば俺だって、入社した頃は全然うまくいかなくて、結果、徹夜して仕上げるなんてことはザラだったよ。それをブラックって言うならブラックだろ。……でも別に不満なんてなかったね」
「ほう、そりゃなぜです」
「自分の意志でそうしていたからさ。できない自分が許せなくて、だから、勝手に頑張ったんだ。残業だって休日出勤だって、別に誰かに強制されたわけじゃない」
「なるほど。……でも、仮に意思があったって、長い残業や休日出勤が嬉しい人なんていないでしょう。どうして乗り越えることができたんです?」
室長の質問に、高本どこか遠くを見るような、何かを思い出すような顔で、視線を上げる。
「俺だけじゃなかったからな。俺が徹夜する時は、皆がつきあってくれた。……オヤジだって、若くねえのに、作業服着て、頭にタオル巻いてよ。皆で顔を突き合わせて、ああでもないこうでもないって、何十回、何百回って失敗して……」
「……」
「でも頑張ってやり続けて、ついに成功して……抱き合って喜んで、それで外に出てみたらもう次の日の朝だったりするんだよ。……これがブラック企業か? 夢中すぎて誰も朝になってたことなんて知らなくて、おいもう朝じゃねえかって揃って大笑いして……それで事務所に戻ったら、髪の毛ボサボサのおっかさんがウトウトしながらオニギリ握ってたりな。……わかるか、俺たちはそうやってこの会社を作ってきたんだ」
いつの間にか高本は室長を見ていた。まっすぐに。
「だから……いいか、適当なこと言ってオヤジらを騙すようなことをしたら……俺が許さねえ。わかったかよ」
室長はその覚悟のこもった目をまっすぐ受け止め、頷いた。
「ええ、よくわかりました」
(SCENE:029につづく)
児玉 達郎|Tatsuro Kodama
ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。
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