槙原社長は、明らかに不機嫌そうだった。
「どういうことかね、高橋さん」
ソファではなく執務机の向こうの椅子に体を預けたまま、社長は言った。
「と、言いますと?」
高橋は、薄い笑顔を浮かべ、首を傾げてみせた。槙原社長は眉間にシワを寄せ何かを言いかけたが、それを一度止め、深呼吸した上で、ゆっくりと苦笑いを浮かべた。参ったな、という雰囲気で続ける。
「あなたが個人的な話をしたい、と言うから、私はこうして時間を作ったんですよ」
個人的な話?
すぐに、小さな納得感と、下品な想像が頭に浮かんだ。
なるほど、このエロオヤジは、高橋にそう言われてホイホイと乗ってきたのだ。まさかこの社長室でいやらしいことでもしようと考えたのだろうか。だが逆に言えば、高橋はそういう下心を利用して、こんな急なアポイントを切ったということなのか。思わず頬が緩みそうになった。ざまあみろ、と思ったのだ。さすが高橋さん、やることがエグい。
……だが、すぐに、不安が押し寄せてきた。
槙原社長は、高橋にコケにされたも同然だ。ここまで俺たちを案内し、早々に人払いされた柳原の青い顔を思い出す。今回の相手は、先日保科と行ったクーティーズバーガーや、室長と行った中澤工業とはわけが違う。天下のBAND JAPAN、いや、高木生命なのだ。今回の件が問題になったとき、ぶつかって消し飛ぶのは俺たちAAの方ではないのか。
思わず表情を伺った。だが、やはりと言うべきか、高橋は落ち着き払っている。……保科といい室長といいそしてこの高橋と言い、やはり頭がおかしいとしか思えない。なぜこういう気まずい場面で落ち着いていられるのだ。
「ええ、そのとおりです。私は個人的な見解を話しにきました」
「そうか……じゃ、彼は必要ないんじゃないか?」
槙原社長のギョロリとした目が、恐らく初めて、俺に向いた。
「あ……あの……」
思わず口ごもる俺をよそに、「彼は大事な研修生ですから、いてもらわなければなりません」と高橋は答える。
次の瞬間、ドン! という鈍い音が響いた。ハッとして顔をあげると、槙原社長が今度こそ怒っていた。固く握ったらしい拳が、机の上で震えている。今のは社長が執務机を叩いた音らしい。
「……舐めるのもいい加減にしろ」
ドスの利いた声。冷たい表情。その裏側に感じられる強烈な怒気の気配。中澤工業のタカちゃんもプロレスラーのような迫力があったが、それとは種類の違う、言うなれば、ヤクザの組員ではなく組長の凄み。こういうことに慣れていない俺は、その迫力に物理的な圧迫感を覚え、思わず体を引いてしまった。
……のだが、隣に立つ高橋は逆に、カツカツカツ、と執務机へと向かっていくではないか。
そして……事もあろうに、その机に向かって、拳を振り上げ、そして振り下ろした。
再び、ドン、という音。
目を丸くする槙原社長に向かって、高橋は言った。
「舐めてなどいません。むしろあなたこそ、求人を舐めないでいただきたい」
「……なんだと?」
「結論から申し上げますわ」
「……」
そして高橋は驚きの表情を浮かべた槙原社長にゆっくりと顔を近づけ、ささやくように言った。
「御社の採用課題は………あなたです」
(SCENE:052につづく)
児玉 達郎|Tatsuro Kodama
ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。
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