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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
皆さん、友達っていますか?
僕はね、思えば学生の頃からちょっとコミュ障というか・・・
相手の気持ちを理解せずにコミュニケーションをとっちゃうところがあってね、気付かないうちに嫌われてたり。
仲間はずれにされてたりね。
学生のころなんて、「自分は特別だ!優れている!」って勘違いしてて、人のことを馬鹿にしてましたからね。
僕と友だちになりたい人なんていないですよ。
・・・
(T_T)ウゥ…
・・・
なんでしょうか、この気持ち。
自分で導入部分を書いておきながら、悲しくなってきました・・・
実はね、弊社のスタッフが、朝礼で「親友」について聞きたいって言い出して、皆でそれについて思うことを述べてたんです。
改めて考えることなんて無かったので、興味深かったんですよね。
「親友って呼べる相手はほとんどいないかも」という意見が案外多かったです。
これには、友人すらほとんどいない僕もちょっとホッとしましたよ。
そもそも親友と友達の違い、境界ってどこなんでしょうかね?
例えば、子供の頃、一緒に遊ぶ友だちがいたとします。
(僕にもそんな時期はありました)
その中で格別仲のいい、よく遊ぶお気に入りの友人のことを、親友と定義していた気がします。
少し成長して、好きな子ができたり、子供ながらにちょっとずつ秘密を持つようになります。
今度は、その秘密を共有できる友人のことを、親友と定義していくのではないでしょうか。
つまり、そのとき両者の間には、「互いの関心事」ってのがあるようです。
さらに、それが「秘匿性を維持したいこと」であれば尚更!?ってことなのかもしれません。
弊社には、20代前半から40代半ばのスタッフがいます。
その彼らにとって、「誰が好きか」をシェアすることが親友の証だとは思いもしないでしょう。(かつてはそうだったとしてもね)
どうやら親友の理由、証みたいなのは、どこかで変わっていくのかもしれませんね。
幼稚園・保育園、小学校、中学校・・・コミュニティはドンドン代わってきます。
学生というカテゴリーでは、「誰が好きか」はそれなりに高い「互いの関心事」かもしれません。
そんな学生も、就職という関心度が高まってくるでしょう。
そして、仕事をするようになれば、これまた関心事ランキングは変動していきます。業種や職種、ポジションによって、その内容も変わるでしょう。
そして、結婚を考えるようになり、子供が生まれ、両親が高齢で身体が弱ってきて・・・とこれまたライフイベントが発生します。
「好きな人」が「共通の関心事」の代表格だった頃と比べると、関心事は目まぐるしく変化しているのが分かりますよね。
多様になっていくというか。
となると、親友の定義に「共通の関心事」が関わっているとすれば、親友の定義も変わって然りですよね。
さらに、人によって関心事が細分化されていく中、共通の関心事を持った人を見つけるのも容易じゃなくなってきます。
そう考えると、うちのスタッフが「親友って呼べる相手はほとんどいないかも」と言ってたのも頷けます。
じゃあ、僕ら社会人にとっての共通の関心事って何なんでしょう?
それは・・・「苦楽」だと思うんです。
めちゃくちゃざっくりかつ広範囲の回答をブチ込んでしまいましたが・・・(汗)
と言うのも・・・
僕が「親友」という言葉を聞いたとき、日本法人の社長が浮かんだんです。
彼とは同い年で、前職も同じで、起業するときに口説いて参画してもらったのです。
でも、プライベートで遊んだことはありませんでしたw
そういう意味では、友達にすらなっていないのかもしれません・・・
そんな人を「親友」ってキーワードで思い浮かべたのは、会社経営という「共通の関心事」があり、とりわけ「苦労を共に乗り越えてきた」という事実があるからだと思います。
さらに、決算書などの企業情報もそこそこ「秘匿性の高い」わけで、それらを共有していますしね。
「苦」の部分だけでなく、上手くいった「楽」もあるんですが、やっぱり僕にとって印象的なのは「苦」ですよね(苦笑)
人はそういうのを「戦友」って言うのかもしれませんけど、別に何かと戦っているわけじゃないですからね。
ということで、社会人での親友とは・・・
「苦楽」のとりわけ「苦」が共通の関心事となった人
・・・ってことでいいのかな。
・・・
・・・
・・・
なんだろう、この違う感(汗)
まぁ、こんなことばっかり考えてるから、親友どころか、友達すらなかなかできませんよ。
だって、僕と共通の関心事を持った人が現れたら、ちょっと面倒くさいですもんね。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。