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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「必要な能力について考えてみません?」
ある日、スタッフ同士が仕事のやり方について話しているのが耳に入ってきました。
「言語化って大事だよ」と一生懸命伝えるスタッフと、それを「なるほど」と聞くスタッフの会話です。
言語化大事と主張するスタッフは、言語関係の能力が非常に高く、(入社時のテストによると)偏差値で言うところの70超えるようなレベルでした。
これくらい能力が高いと、普段の言葉選びも(凡人の僕らからすると)独特で、文章構造も繊細で複雑だったりして、哲学的!?表現になったりします。
言語に関する能力で偏差値50前後の人に対して、このように高度なコミュニケーションを用いると・・・面白いほど噛み合わないんですよね。
結果、「言語化が大事だ」といくら訴えても、その本意が伝わらないという・・・(汗)
不思議なことに、言語に関する能力が高いのに、伝えられない/伝わらないという矛盾が起こってくるわけです。
その様子をBGMに仕事してましたが、いやぁ、大変興味深かったですw
第二言語が英語の人同士で、不自由な英語を使って一所懸命コミュニケーションをとると案外伝わるけど、そこに帰国子女のように英語がペラペラの人が入ってくると、一気にコミュニケーションが崩壊する、というのを思い出しました。
ペラペラ〜って喋られても、英語が得意じゃない人からすると全くわからないんですよねぇ(汗)
こういうとき、能力が高い人が低い方に合わせてくれるかと思いきや、実は「相手に合わせる能力」が低かったりするんですよね(爆)
「名選手、名監督にあらず」なんて言われることがありますが、この「相手に合わせる能力」が関係しているかもしれませんね。
僕が趣味でやっている格闘技でも、先輩に質問すると、「なんとなく」「自然にできちゃうから」と返ってくることがありますw
やはり天才か・・・(汗)と。
実際、「できる人」の中には、「できちゃった人」も一定数いますからね。
「なぜ、できるのか?」って尋ねても、「なぜできないのか?」なんて逆に聞かれたりしますw
かくいう僕も仕事では、「なぜこれができないのかな?」と思うことはしょっちゅうです。
このままマウントを取り続けるのも気持ち良いのかもしれませんが、仕事の場合、盛大なブーメランとして自分に返ってきます。
だから、「なぜ(僕が)できるのか?/できるようになったのか?」をさかのぼり、それを言語化して、ワークフローに落とし込んで、他者でも再現できるようにしないといけません。
ところで、仕事で愚痴ばかり言う人っていますよね?
あれって、「課題を見つける能力」が高い人とも言えますよね。
でも、その人は「課題解決できる能力」を持っていないんです。
だから、その愚痴ばかり言う「課題を見つける能力」が高い人と、「課題解決できる能力」を持った人と組み合わせるわけです。
一方、「課題解決できる能力」を持っている人でも、「他者を巻き込む能力」がないと、その人ひとりでしか解決できず、組織の改善は進まなかったりします。
そんな風に考えると、マネージャーには「能力を見抜く能力」と「能力を組み合わせて、最大の成果を出す能力」は必須なのかもしれませんね。
フォードの創業者、自動車王のヘンリー・フォードの逸話を思い出しました。
彼はフォード社を追われる状況になり、裁判にまで発展したことがあったそうです。
学歴がなく、無知な人間だ、などと能力の不足についてバッシングを受け、経営者としてふさわしくない、と糾弾されていたわけです。
すると、彼は「自分の机にはボタンが並んでいる」と答えます。
そのボタンを押せば、法律、経済、機械あらゆる分野の超一流のプロがすぐにやってくる。
自分は無知だが、私を無知と言うあなた方よりも遥かに優れた人たちがいるけど、なにか?と強烈なカウンターを見舞います。
そして、無知な私だけど、超一流のプロと信頼関係を築くことができる(稀有な)能力を持っているけど、それじゃだめなの?と。
創業して間もない頃、この逸話を知って、「おぉ、これが経営者かッ!カッコいい!!」と感銘受けたのを覚えています。
創業して20年近く経つわけですが、僕の机には未だボタンがありません・・・涙目
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。