このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「あなたは何の現役なのか?」
先日、「説教、昔話、自慢話が多くなってきて、僕はもうダメだよ、老害だよ」ってフィリピン法人のマネージャー(日本人)と話していたんです。
例えば、営業担当者が営業ついて話していると、「俺の頃はさ・・・」のように話し始めたりね。
そもそもコミュ障で人ともまともに喋れないくせに笑わせんじゃねーよ!って話なんですけどね(涙)
でも、よく考えたら現職の営業担当者(現役バリバリ)に対して、営業職でもないのに、大昔の話を引き合いにして、アドバイスしたり、説教垂れるって随分ですよね(苦笑)
現役のスポーツ選手に対して、引退した選手が「喝ッ!」なんて番組ありましたよね。
あれは番組の演出だったわけですが、いつの間にか僕も「喝ッ!」なんてリアルにやってますからね(苦笑)
スポーツでは同じ競技だとしても、今と昔ではルールも違いますし、トレーニングの理論も変わっていますよね。
「俺の頃は」と大昔の経験をもとに、最適なアドバイスができるとは思えないんですよね。
「喝ッ!」モードに入っていると、そんなことすら見えなくなってしまいます。
冷静に考えれば、「何年前の話をしているんだ!?」ってなりそうなものですけどね。
僕は2016年から2019年の間、3年半ほどフィリピンに住んで、法人立ち上げとマネジメントをしていたのですが、今は日本に戻ってきています。
なので、「フィリピン在住者の現役」でもなければ、「フィリピン人マネジメントの現役」でもないんです。
だから、「フィリピンってこうだよね・・・」「フィリピン人をマネジメントするにはさ・・・」なんてことはフィリピン法人のマネージャーの前では、とてもじゃないけどできないわけです。
でも、人って不思議なもんで「はいはい(知ってる知ってる)」って知ったかぶりをしたいし、すきあらばマウント取ってドヤりたい生き物なんですよねぇ。(僕だけかな)
相手が現役バリバリなのも忘れてしまっているのでしょうか?
思い出補正も手伝って自分の能力を過大評価してしまっているのでしょうか?
どうやら・・・
相手が何の現役なのか?
そして、自分が今、何の現役なのか?
を自覚していないと、かなり痛い人になってしまいそうですね。
とりわけ「自分が今、何の現役なのか?」ついては、僕自身も考えさせられます。
社内では創業者であり、会長というポジションなのですが、会社に居てボーッとして生産性に何の貢献もしていないのは困るから・・・と日本法人の社長から仕事を与えられて現場に立ったりしています。
でも、もはや、現場仕事のどの分野の現役でもないんですよね。
現役のデザイナーでもない。
現役のディレクターでもない。
いずれも過去にバリバリの現役だっただけで。
かと言ってマネジメントや総務など会社管理の現役でもないんです。
日本法人の現役経営者でもない。
現役の経理担当でも、人事担当者でもない。
現役のマネージャーでもない。
かつては全部一人でやっていたとは言え、そんなの大昔の話なわけです。太古の昔です。
こんな人間が現場にでるってね、辛いんですよ。
テレビで「喝ッ!」なんて言ってる人が、プロ野球の打席に立たされるようなもんでね。
現役投手のボールなんてかすりもしませんよ。
立ってはいけない打席に立たないためにも、「自分が今、何の現役なのか?」について、明確な回答を持つって大事だな、って思いますね。
打席に立たされて空振りするたび痛感します。
少し前まで、「権限移譲しまくる現役」ではありましたが、もう移譲するものすら無くなってきたんですよね・・・
さて、今度は何の現役になろうかなぁ。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。