その187「老いるということ」

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「老いるということ」

SNSが「◯年前のあなたはこんな投稿してましたよ」って、お節介に教えてくれますよね。
当時の投稿に自分が映る写真があったりして、それを見て、「あぁ、歳とったなぁ…」って強烈に実感させられたりしてね(涙)
お金持ちが美容にお金をかけて、整形する理由がわかりますよ。
あぁ、現実に抗いたい・・・

老化と言えば、この前、社員さんが、「こうなったらいよいよ老化だね」なんて話をしているのが耳に入ってきました。
現実に抗いたい仲間、発見!ですよ。
すると、彼らが「最近の人気のアイドルは顔が同じに見える。そもそも興味がないしッ。」って言ったんです。
それを聞いて、一番の老化って「興味がなくなる」ことなんじゃない!?って思ったんです。

もともと興味がない分野ってありますが、気付いたら興味がない分野がどんどん広くなっていません?
例えば、人気のアイドルについて、若い頃は知っていたはずですよ。
ところが、今では「興味がない」なんて言ってます。
もちろん、興味が失せて別のものに興味を持つ、ということはあるでしょう。
「アイドルより、目の前のあの人が好きだ」「今は仕事に夢中」みたいな。
さて、歳をとると、筋力も衰えます。
となると、テニスや登山といった趣味があったとしても足は遠のくでしょうから、自然と興味も薄れていきそうです。
「興味がない」ということは、新しいインプットが増える機会を逸するということで、それは恐ろしいことです。
テニスや登山に代わる別の興味があればインプットを確保できますよね。
歳をとると昔話が増えるのも、新しいインプットがないのだからしょうがないことかもしれませんね・・・
いやぁ、恐ろしいことです(汗)
明らかに子どもの頃の方が興味の範囲は広かったですからね。

考えてみると、魅力的な人って、好奇心の塊みたいな人で、エネルギッシュじゃないですか?
何にでも興味を示して、どんどんインプットを増やしていくから、色んなことを知っていて話も面白いですよね。
そして、その人は同世代だけでなく、若い人たちにも囲まれていますよね。

「俺の頃はさ・・・」とか、そんな昔話を今されても全く響きませんよね。
見ているタイムライン、生きているタイムラインが違ってくるのでしょうかね。
懐古も良いですが、生きている今(現在)とこれから(未来)に興味関心を持ちたいものです。

俺の頃は、スマホなんか無くてさ、ポケベルってのがあってね。公衆電話を使って・・・
こんなの今現在、何の役にも立たない情報ですよね(苦笑)
ポケベルなんて使いませんし、見たことも触ったこともない人も多いですからね。さらに、公衆電話を使った事ある人もほとんどいないんじゃないでしょうか?
ドヤって昔話して、盛大に滑っている・・・怖いです(汗)

 

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから