その137「みんな同じが大好き日本人、季節の変わり目に一斉に体調を崩す」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「みんな同じが大好き日本人、季節の変わり目に一斉に体調を崩す」

季節の変わり目は体調を崩しやすい。

・・・なんてよく言いますよね。
そして、実際に風邪をひいたり、体調を崩す人が増えたりします。
なぜ、「季節の変わり目は体調を崩しやすい」って分かっているのに相応の対策をしないんだろう!?って、昔から不思議だったんですよね。
毎年、「季節の変わり目で…」と風邪をひいちゃう人がいますよね?
すごい不思議なんです。
だって、毎年毎年、同じこと繰り返すじゃないですか!?
それも日本国民の決して少なくない人数がw

同じようなことで・・・

僕、大昔に、岐阜で働いていたことがあって、雪が降ると交通機関が止まっちゃうことがあるんですよね。
だから、どうしても遅刻ってあるわけです。
でも、不思議だったのが、明日雪が降って、天気予報で大体分かるわけです。
そうなると電車のダイヤが乱れること、車が渋滞することは、他県出身の僕でも容易に想像できるわけで、それなら1時間とか早く家を出たら間に合ったりするんですよね。
雪に慣れているはずの岐阜県民の多くが、あっさり遅刻する理由が僕には理解できませんでした。

・・・まぁ、結局、会社にも、学校にもできれば行きたくないってことなんでしょうけど(苦笑)

「私は人とちょっと違う」「変わり者」みたいなブランディングをしている人も、季節の変わり目には皆と同じ様に体調崩して・・・、雪が降ったら皆と同じ様に遅刻して・・・
そんな姿を見ると、「徹底してないなぁ」って悲しくなるんですよね。
そういうときにこそ、逆をやらないと!
季節が変わる度に元気になり、大雪が降ろうもんなら泊まり込みで遅刻に備えるとかw

ところで、この体調不良スキームを使うときに注意したいのが、SNSです。
「ウェーイ♪」と遊んでいたことをSNSにアップして、休み明けに「体調不良で…」となると、その人の仕事をカバーする人たちからすると「おいおい、ふざけんなよ」ってなりますからね。
休み明けに体調不良スキームを使う予定があるなら、SNSには何もアップしない、もしくは体調が悪いフラグを立てておくべきでしょうね。

ところで、体調を崩す人がいても会社が回るということは、その人の代わりに対応する人が居るわけですよね。
つまり、代替が効く存在ってことです。
そう考えると、なんか悲しいですよね。
どうせなら、代替の効かない存在でありたいですし。
体調不良で休まない人は、自分自身を「代替が効かない人材」と自覚しているのかもしれません。
僕なんて、代替が効いちゃったらショックなので、その現実を知りたくないから休めませんよ。

こんな風に書いてしまったので、僕はおいそれと体調不良になれません。
ちなみに、最後に休んだのは数年前、フィリピンに住んでいた頃で、フィリピン人しか行かないローカルプールに行ってアメーバ赤痢みたいなのになったときかなぁ・・・(撮影があったので、午前中は出社した)

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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