その122「人の話を素直に聞けない僕が、柔術をやってみたというお話」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「人の話を素直に聞けない僕が、柔術をやってみたというお話」

年齢や経験を重ねると、他者からのアドバイスに対して、「分かっている」「そんなこと知っている」と素直に受け取ることができなくなる。その結果、成長、変化できない人が多い。

弊社の日本法人社長が言ってました。
なるほど、まさに・・・ですね。良いこと言うなぁ。
(まるで自分のことのようだ・・・(汗)もしかして、これは僕への警告なのか!?)

その分野で驚くべき成果をあげたわけでもなく、圧倒的な経験があるわけでもないのに、「あー、それね、知ってるよ」と言いたくなる現象、なんなんでしょうかね。
心理的に優位に立たれたくない、マウントをとられないためのささやかな抵抗なのでしょうか。

ところで、この「マウント」って言葉、柔術などの格闘技の用語「マウントポジション(馬乗りの体制)」から来ています。
僕、最近、柔術も再開したのですが、ド素人なので、ルールも技もほとんど知らないんです。
基本的な技術はYOUTUBEなんかで見たことがあるので、「あー、それね、知ってるよ」ってなるのですが、実際に自分が再現できるのとは別問題。
全くできません(T_T)
結果、ジムメイトにいいようにやられて、文字通りマウントポジションをとられちゃうわけです。

ちなみに、僕の柔術先生はまだ20歳前後なので、自分の息子でもおかしくない青年(少年)。
そんな彼に素直に教えをこいながら、素直に実践しない限り、僕が誰かのマウントをとれる日はこないのです。
ドヤるためにも、先生の教えを素直に聞かないといけません。
そう考えると、会社で偉そうにふんぞり返っていたとしても、ある分野ではその立場が逆転することだってありえるよな、って思いますね。
実際、弊社には、僕より遥かにサッカーが上手いスタッフが居たり、ゲームが上手いスタッフが居るわけですから。

さて、冒頭で紹介した、弊社の日本法人社長の話ですが、それを聞いたうちの役員がこんなことを言ってました。

変えられない人は、変えられない。
受け取れない人は、受け取れない。
若かろうが、歳とっていようが、年齢は関係ない。
「若い人は素直だよね」というのをことさら強調する必要はないし、「歳とっているから素直じゃない」というのも違う。
結局、やる人はやる、やらない人はやらない、ただそれだけ。

き、厳しい・・・(T_T)
「オメーに言ってんだよ、ピンク頭」と言われているような、そんな気持ちになって、ピンク頭のおっさん涙目。

仕事がなまじできちゃったり、役職があがったりして、素直に相手の話が聞けなくなってきたら、趣味でもなんでもいいので、めちゃくちゃ苦手なことをやってみると良いと思いますよ。
「あー、それね、知ってるよ」って言えないレベルのやつね。
その世界では、一つたりとて上手くいきませんからw
そして、その世界でやっていくには素直に聞かざるを得ませんので、素直に聞いて実践する練習になりますよ。
わざわざ苦手なことをやるのは、避けてきたことをやるってことですから、当たり前ですが、得られる気付きも多いんですよね。
ただ、「苦手だけど、嫌いじゃない」レベルにしておかないと辛くなりますのでご注意ください。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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