第55回 食事は本来、楽しむべきではない?

この対談について

健康人生塾の塾長にしてホリスティックニュートリション(総括的栄養学)研究家の久保さんと、「健康とは何か」を深堀りしていく対談企画。「健康と不健康は何が違うのか」「人間は不健康では幸せになれないのか」など、様々な角度から「健康」を考えます。

第55回 食事は本来、楽しむべきではない?

安田
先日、久保さんに『完全食だけで6年間生活している35歳の男性』についての記事をシェアさせていただきました。お読みになりました?

久保
ええ、読みました。「食」への楽しみを完全に捨てているようで、かなり衝撃でしたね。
安田
「食べることは無駄。だってどうせ便になって排出されるんだから」って。こういう考え方を持っている人がいるっていうことに、私もビックリしました(笑)。

久保
笑。なんでも彼の食事は、1日2回・ドリンクタイプの完全食とプロテインだけなんですよね。1回20秒で終わるから、1日の食事にかける時間はたった40秒で済むと。
安田
そうそう。確かに食事をする前後には、買い物や調理、後片付けという一連の流れがある。「時間も大きくロスするのは嫌だ」という主張もわからなくはないですけれど(笑)。

久保
そうですね。「効率の良さ」や「時間の節約」という視点から見れば、確かにこの「完全食オンリー」というのは合理的だと言えるのかもしれませんが…。
安田
彼がしているのはもはや「食事」ではなくて「摂取」という気がしませんか?

久保
ああ、そうですね。「摂取」という表現が一番しっくりくるかもしれないです。
安田
管理栄養士さんのお話では、咀嚼を全然していないから「唾液が出なくてうまく消化できてない」ことや「顔の筋肉や骨に衰えが出る」ことが懸念事項としてあげられていました。でも、健康診断の結果が悪いわけではないみたいですね。

久保
本当に何の問題もないのかというのは、もう少し長い目で見る必要があるとは思いますけどね。私も実際に「青汁だけ」とか「果物だけ」の食事を10年以上続けている人を知っていますが、それが果たしてカラダに良い食事なのかどうかは、まだ結論が出ていないというか。
安田
たまたまその人たちの「体質」的に合っていただけ、という可能性もありそうですし。

久保
仰るとおりです。というか私はこの記事を読んで、やっぱり「食育」は大事だなと思ったんですよね。
安田
と言いますと?

久保
食事って、「カラダに良いものを食べて健康になる」というのが大事な目的です。でも、もっと根本的な話で考えると、本来の食事って「命をいただく行為」なんですよ。だからそのことに対して敬意や感謝を持つべきだなと。
安田
ほう、なるほど。でも、動物の命を奪わずに済ませることができる「完全食」であれば、他の動物への「感謝」はしなくてもいいのでは、なんて思ってしまいますけど(笑)。

久保
うーん…。完全食にしろプロテインにしろ、元を辿ればなにかしらの「命」なわけで。その観点が欠如していることが気になったんですよね。
安田
ふーむ。つまり彼には、「食事にかける時間がもったいない」とか「もっと効率的にしたい」というような気持ちしかない。たとえ「完全食の摂取」だとしても、それは「食事」なんだから、しっかりと「感謝」をするべきだと。

久保
私はそう思いますね。「命への感謝」を起点にし、そこから「命を大切にしなくてはいけない」という気持ちが生まれる。だからこそその先の、「人を殺してはいけない」というような道徳的な思考に繋がるんだと思うんです。それこそが食育の本来の目的なんじゃないかと。
安田
なるほど。うーん、確かに「命をいただくことに感謝する」という考え方はわかります。でも一方で、現代人は世界中のほとんどの生き物や植物を「食べるために」管理していますよね。

久保
それは、動物の家畜化や、小麦やトウモロコシの大量栽培といったことですよね?
安田
そうそう。もはや地球上の動植物は人間が食べるためのものばかり、と言っていいかもしれない。となると「命に感謝する」のであれば「動物」も「植物」も区別なく食べればいいんですよ。もっと言えば「牛は良くてクジラはダメ」なんていうのも変な話で。だってどちらも「同じ命」なわけですからね。

久保
なるほどなあ。今のお話でちょっと思ったんですが、キリスト教やイスラム教の方々って「家畜=人間が食べるために神様が作ってくれたもの。だから殺してもいい」と捉えているんですね。
安田
へえ〜、そうなんですね。

久保
ええ。だから食事の前に、日本人だったら「(命を)いただきます」と言うけれど、彼らは「(家畜を作ってくれた)神へ感謝をします」というお祈りをする。
安田
ああ、確かにそうですね! 「命をいただく」という感覚は、もしかすると日本人だけが強く感じているものなのかもしれない。

久保
特に仏教徒は「命が大切」という考え方をすごく大事にしていて、そういう感覚が深く根ざしているんだと思いますね。
安田
なるほど。それでいうと、日本人の昔ながらの食事って、一汁三菜とかいいますけど、わりと質素ですよね。それはつまり「食事=命をいただくこと」だから、「本来は楽しんでするものではない」という考え方が根底にあったんじゃないでしょうか?

久保
ははぁ、なるほど。そもそも食事は楽しんではいけない、と(笑)。
安田
そうそう(笑)。極論を言うと、「生きていくために仕方なくいただいております…」という気持ちでプロテインや錠剤を摂取するだけのほうが、かえって「命」への感謝の気持ちを表すことができるとも思えてきます。

久保
「他の命をいただく行為を楽しむなんて、もってのほか!」というわけですね。うーん、ちょっと複雑な感情になりますね(笑)。
安田
だって「感謝」と言いながら、家畜をたくさん殺して、必要以上に食べている現状があるわけじゃないですか。それって矛盾していると思うんですよ。

久保
確かに仏教でも「貪欲」といいますが、必要以上に食べることは「悪」なんですよね。だから「食べすぎること=命をいただくことを楽しんでいる」ということにつながる、というのは一理あるのかもしれない。
安田
ですよね。…とは言え、「食事を楽しむ」というのは、人間の文化でもあるわけで。

久保
ええ、同感です。「美味しく食べる」ことは、生きていく上で大切な要素だと言えると思います。
安田
ただ、毎日贅沢三昧をしてはダメだぞ、と(笑)。

久保
そうそう(笑)。年に1回お誕生日の時にはおいしい食事を食べて、幸せな気分を味わう、というくらいがちょうどいいのかもしれませんね(笑)。
安田
ちなみに世界的にこれだけベジタリアンが増えてきているのって、「家畜を殺して食べる」ということに罪悪感を覚える人が増えてきているからだという気がするんですよ。

久保
ああ、確かに。例えば昔は当たり前だった捕鯨も、今では大きな批判を浴びるようになったわけで。それと同じで、今後もしかすると「家畜を食べる行為は野蛮だ」というような流れも出てくるかもしれないですね。
安田
まさにそうなんですよ。で、そうなってくると、これからの人類は「完全食だけで栄養摂取する」という方向になるかもしれないなあと。だから「完全食だけで生活している」冒頭の彼は、人類の最先端をいっているのかもしれませんよ(笑)。

 


対談している二人

久保 光弘(くぼ みつひろ)
健康人生塾 塾長/ホリスティックニュートリション研究家

Twitter  Facebook

仙台出身、神奈川大学卒。すかいらーくグループ藍屋入社後、ファンケルへ。約20年サプリメントの営業として勤務後、2013年独立し「健康人生塾」立ち上げ。食をテーマにした「健康人生アドバイザー」としての活動を開始。JHNA認定講師・JHNA認定ストレスニュートリショニスト。ら・べるびい予防医学研究所・ミネラル検査パートナー。

 


安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

Twitter  Facebook

1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 


 

 

感想・著者への質問はこちらから