第60回 「常識」や「宗教」に縛られない生き方とは

この対談について

健康人生塾の塾長にしてホリスティックニュートリション(総括的栄養学)研究家の久保さんと、「健康とは何か」を深堀りしていく対談企画。「健康と不健康は何が違うのか」「人間は不健康では幸せになれないのか」など、様々な角度から「健康」を考えます。

第60回 「常識」や「宗教」に縛られない生き方とは

安田
私、最近「常識」と「宗教」って似ているな、って思うんです。どちらも「ルールが現実に即しているうちは平和に暮らせる」というか。

久保
宗教も本来は「人生や日々の生活をより快適に生きていくため」のものですから、確かに根は同じかもしれません。
安田
常識も宗教も、「こうやった方が快適だよね」というところからきっとスタートしている。でも、その教えやルールが「手段」ではなく「目的」になってしまうと、いろいろ弊害が出てくるなと思っていて。

久保
手段が目的になる…それはどういうことなんでしょう?
安田
例えば宗教で言えば、1日に何回お経を唱えましょうとか、年に1回ラマダンを行いますとか、豚肉は食べてはダメですとか、ルールがありますね。そういうことって何かしらの理由があってルール化されている。でもだんだんと、それを実行すること自体が目的になってしまうじゃないですか。

久保
ふーむ。つまり、「理由はよくわからないけど、これが正しいとされているからとりあえずやっておこう」となってしまうのはよくないと。
安田
そうそう。それは「常識」も同じことで、敬語を使うとか会社ではスーツを着用するとか、その理由を特に考えずに「これがルールだから」とやり続けるのはいかがなもんか? と思うわけです。

久保
なるほどなぁ。ちょっと宗教の話に戻りますと、宗教が果たしてきた役割って、「最低限の善悪を判断できる倫理観・道徳観を、多くの人にわかりやすく伝えること」だと思うんですね。
安田
「人のものを盗んではいけない」とか「人を殺してはいけない」とか。

久保
ええ。逆に言えば、そういう善悪の感覚が今も生きているからこそ、宗教がなくなっていないんだとも言える。ちなみに海外のホテルやレストランに行って「自分は無宗教だ」と伝えると、宿泊や食事を断られてしまうケースもあるんです。ご存知でした?
安田
え、そうなんですか! 「コイツは無宗教だから、最低限の倫理観も持ち合わせてないんじゃないか?」って思われてしまうってことですか。

久保
そうそう。もっとひどいと、テロリストだって決めつけられてしまうケースもあるとか…。つまり地域によっては、宗教と常識は「似ている」どころか、「宗教=常識」くらいに捉えているんだと思います。
安田
ははぁ、なるほど。でもちょっと矛盾を感じるのが、普段は「人を殺してはいけない」と言っているのに、ひとたび戦争が起きれば平気で殺し合うじゃないですか。それは「宗教の教え」には反していないんですかね。

久保
あぁ、そこが「一神教」の弊害であり、最大の欠点なんだろうと思いますね。「私たちの教えに背くものは罰を受けるべきだ」という考えが根底にある。「この神を信じない部族は殺してもいい」という理屈になっているというか。
安田
うーん…じゃあなぜこんなに「一神教」が世界的に広まっているんでしょうね。本質的に正しいことがあるから、これほど多くの方に受け入れられたと思うんですけど。

久保
おそらく一神教が「権力の象徴」というか、「ナショナリズムを形成する道具」として使われたからではないかなと。もちろん前提として先ほども言った「倫理観や道徳観を広める」という役割はあったわけですけど、それを権力者が利用してきた歴史もあるじゃないですか。
安田
うーむ、確かに。でもそう考えると日本ってちょっと不思議ですね。政治が宗教によって作られてきた感じはあまりしないけれど、倫理観や道徳観に薄いわけでもない。むしろそういうことには厳しい民族じゃないですか。

久保
日本は、江戸時代から明治になるときに「廃仏毀釈」で仏教がなくなってしまい、さらには世界大戦後に「政教分離」が行われたことで、宗教と政治が分離されていった歴史があるんですよね。そういう意味では特殊な国なんだと思います。
安田
なるほどなるほど。宗教戦争が起きない分、今の日本人くらいのスタンスがちょうどいいのかもしれないですね。ちなみに常識は時代に合わせてどんどん変わっているじゃないですか。ちょっと前ではOKだったことが今は非常識だったりする。そういう変化は「宗教」にも影響を与えますかね?

久保
うーん、変わらざるを得ない部分はあるのかなと思いますけど…。例えば仏教だと、最大公約数的な「教え」はあるけれど「答え」は自分の中にしかない、という考え方なんですよね。そういう意味では「人によって答えが変わっていく」宗教なんです。立場によって真逆の答えもあり得ます。
安田
ははぁ、なるほど。「生き方の心構え」を自問自答しながら突き詰めていくわけですね。

久保
仰るとおりです。仏教は「宇宙の摂理」を説明しているだけなので、「絶対的な神様=答え」があるわけじゃないんですよ。
安田
なんだかそう聞くと、「仏教はもはや宗教ではないんじゃないのか」という気もしてきますね。

久保
逆に私は、仏教こそが本来の宗教なんじゃないのかなと思います。仏教以外の「一神教」は、1つの絶対的な神様を設定しているからこその矛盾が出てきてしまう。そして、それが引き金になって戦争が起こったりする。そういうことのない仏教の方が「宗教らしい」気もして。
安田
ああ、確かに。そういう意味では「宗教」というくくり自体が、もはや時代遅れなのかもしれません。「教」とついているから、何か「教えを請う対象」として捉えられがちなのかも。

久保
そうですね。倫理観や道徳観といった根本的な考え方を学んで、あとはそれをどう解釈してどう実践していくかは自分次第。それが本来の「宗教」なんじゃないでしょうか。
安田
なるほどなぁ。常識にしろ宗教にしろ「教え」を学ぶことは大事だけれど、それに縛られすぎないことも同じくらい大事なんでしょうね。

 


対談している二人

久保 光弘(くぼ みつひろ)
健康人生塾 塾長/ホリスティックニュートリション研究家

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仙台出身、神奈川大学卒。すかいらーくグループ藍屋入社後、ファンケルへ。約20年サプリメントの営業として勤務後、2013年独立し「健康人生塾」立ち上げ。食をテーマにした「健康人生アドバイザー」としての活動を開始。JHNA認定講師・JHNA認定ストレスニュートリショニスト。ら・べるびい予防医学研究所・ミネラル検査パートナー。

 


安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 


 

 

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