“生粋の商売人”倉橋純一。全国21店舗展開中の遊べるリユースショップ『万代』を始め、農機具販売事業『農家さんの味方』、オークション事業『杜の都オークション』など、次々に新しいビジネスを考え出す倉橋さんの“売り方”を探ります。
第57回 ミスチルと切磋琢磨したアマチュアミュージシャン時代
Xで倉橋さんが昔バンド活動をされていたというポストを見かけて驚いたんですが、しかもミスチルやスピッツ、ウルフルズと同じステージに出演していたと。本当なんですか?
本当ですよ。そんなに深掘りするような話でもないかもしれませんけど(笑)。
いやいや。倉橋さんとのお付き合いも長いですけど、そんな有名なミュージシャンと一緒の舞台に立ってたなんて、初めて聞きましたから。
当時、ヤマハ音楽フェスティバルという全国的な大会がありまして。東京、大阪とエリアで分かれてやってたんですけど。そこで一緒になることがありました。
なるほど。ちなみに倉橋さんはバンド内ではどういうポジションだったんですか?
ボーカルとギターをやってました。
えっ、そうなんですか! 花形じゃないですか。私の中では倉橋さんってもうちょっとオタクっぽい印象だったので、ちょっと意外ですね(笑)。学生時代にバンドのボーカルなんてやってたら、めちゃくちゃモテますよね。
いや、そこは残念ながらあんまり(笑)。
そうなんですか(笑)。でも、もし大学卒業前にレコード会社から声がかかっていたら、ミュージシャンになってたかもしれないわけですよね。
そうですね。そのために大会に出てましたから。
そこでもしミュージシャンになってたら、今の万代はなかったわけか…。そうなると東北や北海道に住んでる人たちの生活も変わっていたかもしれない。
そこまで大層なことではないですけど(笑)。でも確かに違った人生があったかもしれませんね。
そうですよ。いろんなミュージシャンがそういうところから有名になっていったわけですから。
そうですね。中でもミスチル、スピッツ、ウルフルズはアマチュア時代からすごく有名で、間近で見ながら「この人たちは絶対に売れるんだろうな」と思ってました。
へぇ。売れる人はアマチュアの時点でもう違うんですね。倉橋さんも有名だったんですか?
いや、僕らはそこまででは(笑)。でもアルバムも作ってましたし、ライブも定期的にやって。大学生ながらにけっこう頑張ってましたね。
なるほどなぁ。それにしても、意外な過去があるものですねぇ。大学生時代でいうと、ビジネスもやられていたんですよね。
ええ。でもそのビジネスも実は音楽のためだったんです。本気で音楽をやろうと思うと、本当にお金がかかるんですよ。アルバイトだけでは到底足りない。
へぇ。そんなにかかるものなんですね。
ライブチケットも売れなければ持ち出しになりますし、機材を持って移動することも多いので、大きい車も必要で。その時に始めたビジネスが軌道に乗ったおかげで、なんとかやってましたね。
そう考えると、倉橋さんのビジネス人生はそこから始まったわけですね。ZOZO創業者の前澤さんとちょっと似てますね。倉橋さんもどこかのタイミングでミュージシャンで食っていくのはやめよう、と決断したんですか?
そうですねぇ。やっぱり売れるミュージシャンって、「これ1本で食っていくぞ!」という気概があるんですよね。でも僕はそこまで博打的な人生を選ぶ勇気がなかったというか。大学を辞めて就職せずに音楽を続ける、という選択はできませんでした。
なるほどなぁ。かく言う私の息子もミュージシャンになると言っていた時期がありましたけど、誰に相談しても、「ミュージシャンを生業にするのはとてつもなく難しい」と言われてたみたいです。
ええ。本当に難しい世界だと思います。
「歌が歌える人」とか「カラオケで上手な人」とかって山ほどいるじゃないですか。でもプロになる人はほんの一握り。つまり、先ほど「気概」と仰ってましたけど、プロとしてやっていけるかどうかって「歌のうまさ」だけじゃないわけですよね。
歌のうまさももちろん大事ですし、あとは「華」があるかどうか。生で見ているとよくわかるんですが、売れていく人たちには「アーティストとしてのオーラ」があるんですよ。
ああ、わかる気がします。一方で「運」の要素もすごく重要じゃないですか。
そうですね。今でこそとんでもなく有名になっているアーティストでも、そこに辿り着くまでの道のりはそれぞれ違っています。例えば当時から順調だったミスチルと比べて、ウルフルズは集客も含めてすごく苦労されていた印象です。
そうなんですか! じゃあもっと運が悪かったら、全く売れずに終わっていた可能性もあったと。
そうかもしれません。ともあれ、あの頃はまだCD全盛期で、「誰がどれだけ売れているか」が数字で見えやすかったんです。つまりスター性が顕在化しやすかった。
確かに、一度人気に火がつくとどんどん売れていって、あちこちの音楽番組に引っ張りだこになってましたよね。
そうそう。当時は彼らがなんだか遠い世界で輝いているように感じてましたね。自分はレコード店の店長で、かつてのライバルたちのCDを棚に並べる側にいる。自分が負け組になったような気さえして。
ライバルたちの活躍を目の当たりにするわけですもんね。もうそういう感覚はなくなりました?
今はもう全然ないですね。ビジネスに力を入れていく中で、どんどんそのおもしろさに目覚めていって、いつの間にかなくなってました。もう闘うフィールドが違うんだなと。
なるほど。自分が今いる場所で全力を尽くした結果、過去を乗り越えることにもつながったわけですね。
対談している二人
倉橋 純一(くらはし じゅんいち)
株式会社万代 代表
株式会社万代 代表|25歳に起業→北海道・東北エリア中心に20店舗 地域密着型で展開中|日本のサブカルチャーを世界に届けるため取り組み中|Reuse × Amusement リユースとアミューズの融合が強み|変わり続ける売り場やサービスを日々改善中|「私たちの仕事、それはお客様働く人に感動を創ること」をモットーに活動中
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。