第10作目『仁義なき戦い』に学ぶ啖呵の切り方

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

ヤクザものというジャンルは映画創成期から脈々と受け継がれてきた。古くは『清水次郎長』、洋画なら以前紹介した『ゴッドファーザー』、最近だと『アウトレイジ』などヒット作が目白押しだ。ヤクザ映画が好まれる一番の理由はなんだろう。もちろん、人それぞれに理由はあるのだろうが、一番の理由は彼らが暴力の世界に生きている、ということだろう。

子どもの頃から、親に言われる小言のなかで最も多いのは「暴力はいけません」だ。兄弟ゲンカをしてはいけないし、友だちとも仲良くしないといけない。けれど、そう言われるということは、ケンカしたいという衝動が常に私たちにつきまとっているということでもある。だからこそ、スクリーンの中の彼らに私たちは自分を重ね、映画館を出るときには肩で風を切ってしまうのだ。

さて、そんなヤクザ映画の中でエポックメイキングだったのは間違いなく『仁義なき戦い』だ。それまでの任侠物は高倉健に代表されるように無口で格好良く、忍耐に忍耐を重ねる様式美に彩られたヤクザだった。しかし、『仁義なき戦い』のヤクザたちは違う。親分は平気で子分を裏切るし、子分は子分で親分の裏をかこうと必死だ。任侠の世界も結局は私利私欲だとばかりにせこい理論で暴力がはびこっている。しかも、時代設定は戦後の混乱期。国家に裏切られた国民が、自力で這い上がろうとする時期に、ヤクザたちもまた必死だったのだ。

監督の深作欣二はそんな時代のヤクザたちを手持ちカメラでドキュメンタリー風に撮った。そこにはこれまでのヤクザ映画になかったヤクザの本音や現実が見え隠れし、決して憧れることのできない等身大の人間として姿を現したのだ。この『仁義なき戦い』に登場するヤクザたちは建前もビジョンもない現実の中で右往左往しながら、自分自身を正当化するための言葉だけを探している。観客はなんだか自己反省を強いられているような気持ちになる。金子信雄演じる組長が「組のために」と話し出す言葉はすべてが言い訳がましいのだが、それは私が小さな会社を経営しているときに「会社のために」と話し出す言葉にとてもよく似ているのだ。ああ、穴があったら入りたい。

そんな情けないヤクザたちのなかで、唯一、菅原文太演じる主人公・広能昌三が異彩を放つ。彼は舎弟の葬儀で銃をぶっ放したあと、組長をにらみつけながら「まだ、弾は残ってるがよう」と啖呵を切る。この広能の言葉には彼の本音と本気、そして、ヤクザの理想が入り交じっている。だからこそ『仁義なき戦い』のカタルシスとなり、現実(ヤクザ)と夢の世界(映画)をつなぐのである。

会社を経営していれば地団駄踏みたいくらいに悔しいこともあるし、それこそ相手を殴ってしまいたいほど腹立たしいこともあるだろう。でも、経営者たるもの本音ばかり口にしているわけにはいかない。時にはすべてを飲み込んで黙していなければならないだろう。しかし、経営者だからこそ、命を賭けたような啖呵を切る覚悟を持たなくてはいけないのかもしれない。そんなチャンスは永遠にこなくても。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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