このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。
『けんかえれじい』の彷徨う目的。
鈴木清順監督と言えば、日活専属時代に社長の逆鱗に触れ、1968年に同社を追われた曰く付きの監督である。日活時代から歌舞伎の様式美などを画面に取り入れながらもモダンな作風で知られた。しかし、1977年に『悲愁物語』でカムバックすると、1980年には『ツィゴイネルワイゼン』を発表して国内外で高く評価されたのだった。
と、書いてくると、どうしても芸術志向のわかりにくい作風だと思われるかも知れない。しかし、彼の作品の根底にあるのは活劇でありエンタテインメントとしての映画だ。そんな鈴木清順らしい青春群像映画が『けんかえれじい』である。
『けんかえれじい』の主人公は旧制中学の学生・南部麒六(高橋英樹)。彼はとにかくケンカっぱやい。憧れの女性を馬鹿にする者がいれば、上級生だろうと叩きのめす。そんな麒六にケンカを伝授するケンカの達人が現れると、さらにエスカレート。さらに大きなケンカを求めて彼らは奔放するのである。それは最終的に軍事教練の教官との衝突となり、最終的にはヤクザのケンカにまで加担するようになる。
さて、そんな麒六が最終的にどうなったか。映画はそれを明らかにはしていない。地元のカフェで出会った男が二・二六事件の犯人、北一輝だったということを知った麒六はもっと大きなケンカを求めて東京へと旅立つところで映画は終わる。
最初は憧れの女性を馬鹿にした男たちを懲らしめるために始めたケンカだった。それが少しずつ自分の力に振り回され、ケンカをすることそのものが目的となり、その目的のための正義を探し始める。映画はそんな男たちを描きながら、人の弱さと愚かさを私たちに見せつける。その生と死に魅入られた世界を象徴するかのように、登場する女性は決して手のひらを見せず、彼女が幽霊であることを示しながら、生と死の境界線に彼らが立たされていることを示唆するのである。
映画は暴れ回る主人公たちを明るくコメディタッチで描く。しかし、そこに死の匂いを漂わせる手腕が鈴木清順ならではである。そして、その死の匂いこそ、私たちがビジネスを手がけているなかで決して見逃してはならないものなのかもしれない。なにかが大きく動き出したときこそ、自分の立っている場所をもう一度見つめ直し、最初の目的を思い出し、自分の力に振り回されないように体幹を鍛える必要がある。
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。