このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。
『トニー滝谷』に見るフリーランスの孤独。
市川準はCM監督の出身で、『三井のリハウス』などまるで映画のワンシーンのようなCMから『キンチョーゴン』のようなドタバタコメディ的なものまで幅広く才能を発揮した。演出の手法は様々だったけれど、人の面白さ切なさにスポットを当て続けた市川準が映画を手がけるのは必然だったのだと思う。
「トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった」というナレーションから映画は始まる。戦後すぐにジャズミュージシャンの息子として生まれたトニーは、父親と親交の会ったアメリカ軍人から「これからはアメリカの時代だから、アメリカ的な名前がいいかもしれない」と勧められ、トニーと命名された。しかし、トニーが生まれて間もなく産後の肥立ちが悪く亡くなってしまう。そして、その名前のせいもあってトニーは孤独な少年として成長することになる。
子どものころから機械や精密なものに心惹かれていたトニー(イッセー尾形)は、緻密な絵を中心に描くイラストレーターになる。彼のイラストは評判になり売れっ子になるが、それは彼が人との付き合いが苦手で自分の殻に閉じこもることと裏腹だった。
孤独に強く、納得のいくまで仕事ができるトニーはフリーランスとして活躍することになるが、彼ほどフリーランスに向いた人間はいなかったかもしれない。トニーのアトリエ兼住居に出入りするのは雑誌の編集者くらいのものだが、その中の1人の女性(宮沢りえ)に、彼は恋をし、結婚し、一緒に暮らすことになる。
おそらく、2人が互いに惹きつけられたのは、孤独を抱えていたからなのだが、女はトニーほど強くはなかった。仕事が順調で裕福なトニーはお金に困ることはなかった。そんな潤沢な資産が女の孤独に火を付けてしまった。女は毎日のようにブティックやブランドショップへ出かけては高級な服や時計や靴やアクセサリーを買いあさった。一生かけても身につけられないほど大量に。
女は交通事故で亡くなる。トニーはまた孤独な生活に戻る。しかし、一度孤独でない暮らしを知ってしまったトニーは自分自身が立ち直るために、新しいアシスタントを募集する。条件は妻と全く同じサイズの身体を持った女性。そして、応募してやってきたのは妻と瓜二つの女だった。トニーは言う。「ここでアシスタントをする時間だけ、妻の服を着てほしい」と。女は「話の筋は飲み込めないけれど、やれると思います」と承諾し、「奥さんの服を見せてほしい」とトニーに頼む。通された部屋は妻が買いあさった大量の服で溢れかえっていた。
トニーは衣服が納められた部屋の外で待っている。女は妻の服のひとつに手を伸ばすと袖を通す。そして、部屋を見渡す。様々なブランドの様々な色の服や靴やアクセサリーが静かにじっとそこにある。それをじっと見ているうちに女は感極まって涙を流す。涙はやがて慟哭となって部屋の外にいるトニーにまで聞こえる。トニーの問いかけに女は答える。「だって、こんなにたくさんの服…」とそこで女の声は声にならなくなる。
女が帰ったあと、トニーは女に電話を入れ、この話しはなかったことにしてくれと頼む。それでお終い。しかし、トニーの気持ちの中にはずっとこの女の慟哭が消えることなく残るのだ。孤独に翻弄された妻によって、トニーの孤独も開かれてしまった。これから先も、トニーは精緻なイラストを描き続けて生きていくだろう。しかし、そのイラストは以前とは違う。ただ精緻なだけではなく、そこに哀しみをたたえたものになっているはずだ。この映画を見る度に、孤独と寂しさの違いを考えてしまう。そして、フリーランスは孤独でもいいが、寂しくてはいけないのだと思う。そして、結局、人は誰もが最後はフリーランスで生きている生き物として、寂しさに絡め取られないように生きていかなくてはならず、そのために何かを生涯をかけて探しているように思えるのだ。
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。