経営者のための映画講座 第30作『モンパルナスの灯』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『モンパルナスの灯』に見る仕事と商売の違い。

高校生の頃に突然「将来何になりたいのか?」と聞かれる。それまでは「何にでもなれるんだよ、君たちは。可能性の塊だね」と、「仕事」を探すように言われていた気がするのに、本格的に進路を決める頃になると、「まあ、現実的なところで、この大学はどうだね」と確実に生活できる「商売」を手に入れる手段を見つけろ、と言われている気がしたものだ。

「仕事」と「商売」。言葉としての違いは本当はないのだろうが、なんとなく職人さんの仕事の手仕事とは言っても、手商いとは言わないだろう。そう考えると、親や先生の言う進路とは「無難に稼げる道」のことであって、「採算は度外視して、これをやりたいのだ」ということを声に出しても「よく考えろ」と一蹴されるのがオチだ。そして、一蹴される仕事の代表格が芸術系の仕事なのかもしれない。

例えば、画家。趣味で絵を描いている叔父さんは知っていても、絵で生活している人は私の親族にはいなかった。私は画家になろうなんて思っていなかったのだか、ちょうどそんな高校生の頃にNHKの世界名作劇場で放送されていたのが映画『モンパルナスの灯』だった。

この映画は実在の画家、モディリアーニを題材にした伝記映画だ。監督はジャック・ベッケル、主演は二枚目俳優、ジェラール・フィリップだ。映画の中で、貧しい画家であるモディリアーニがカフェで客の似顔絵を描く場面がある。その絵は私たちが知っているまさにあのモディリアーニの絵で、見ている観客としては「あ!モディリアーニだ!」と声をあげそうになる。しかし、描いてもらった客は「似ていない!」と怒り出すのだ。仕方がない。モディリアーニにはそう見えているのだ。そこで、初めて私たちは、そうかモディリアーニは生きている間、絵がほとんど売れなかったんだった、ということを思い出す。

映画はモディリアーニの苦しい生活や絵にかける情熱や恋や苦悩を丹念に描き、ラスト近く彼が亡くなるとこれまで懇意にしてくれていた画商が彼のアトリエから絵を根こそぎ持っていくところで終わる。そうすることで、画商は仕入れを限りなく低く抑え、膨大な利益を得る見事な商売をしたことになる。しかし、モディリアーニのほうは、何の利益も見出すことができないまま、ただただ彼が信じた仕事を死ぬまで全うしたのだった。

ただ、世の中のすべの画商が、モディリアーニの芸術性に賭け、生活費を渡し、彼の絵が売れるまでともに戦っていたら、多くの画商が破産しているだろう。そこは、心を鬼にして売れない画家を突き放すのが普通だ。しかし、自分自身の絵を信じて描き続ける画家をじっと見つめ、その良さを見抜き、それを世の中に伝えられるように寄り添える画商こそ、いま求められている画商なのだろう。そのためには、商才とともに芸術と商売をつなぐことができる知識と能力、そして、何か新しい手法が必要なのだろう。その何かとは、いわゆる自分の体を姿勢良く保つ体幹のようなものなのかもしれない。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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