このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。
『パターソン』は仕事ってなんだろうと、考えさせてくれる。
ニュージャージー州にあるパターソンという町にパターソン(アダム・ドライバー)という若者が住んでいる。彼は毎朝決まった時間に起き、美しい妻にキスをして、彼女が作ったお弁当を持って出かけ、市バスの運転をする。市バスを走らすまでの僅かな時間、彼は小さなノートを出してそこに詩を書きつける。きらめくような時間を切り取ったような素晴らしい言葉を書き連ねてから、彼はバスを走らせてパターソンに住む人々を運ぶ。
毎日、同じ時間に仕事を終えて、パターソンは家に帰り、フレンチブルドッグを連れて近所のバーに出かけて一杯だけビールを飲む。そして、バーの店主や馴染みの客たちとひと言ふた言、言葉を交わしてから帰宅する。妻は起きている時もあるし寝ているときもあるが、パターソンは妻にそっとキスをする。そんなふうに、パターソンの毎日はなにげなく過ぎていく。何もないわけではないが何かがあるわけでもない。そんな当たり前の毎日。でも、パターソンの詩は少しずつノートを埋めていく。
ある朝、美しい妻が言う。「ねえ、私たち双子を授かるかもしれないわね」と。するとあら不思議。その日からパターソンには双子ばかりが目に入る。パターソンの町にはこんなにも双子がいたのかと思うくらいに。バスに乗ってくる双子の男の子。町を行く双子の中年のおばさん。仕事終わりに出会った詩を書く少女にも双子の姉がいたりする。見ている観客も「そんな馬鹿な」と思いながらも、人生ってそんなもんかもしれないなあ、と思ったりもする。誰かに「双子を授かるかも」なんて言われたら、その日から双子ばかりが目につくかもしれない。
映画『パターソン』の素晴らしさは、そんなとても日常的な喜びや発見を私たちに改めて認識させてくれることだ。そして、毎日同じ仕事をすることの心地よさや人としてのあり方のようなものを再認識させてくれる。愛犬が食いちぎってしまった詩のノートや、妻が急に始めたあまり上手ではない「線路は続くよ」のギターの弾き語りや、行きつけのバーのちょっとした小競り合い。そんなものが毎日を豊かにして、涙が溢れそうなくらいに素晴らしい言葉になり詩になっていく。
この映画で唯一のアクションシーンは、失恋に納得できない男がモデルガンを突き付ける、というバーでの事件だが、これもパターソンが驚くほど素早く取り押さえる。その取り押さえ方が、どうも軍人が習う格闘技に似ている。しかも、思い返せば、パターソンの寝室には軍服姿の彼の写真が飾ってあった。そういえば、彼の美しい妻も中東の出身者のように見える。もしかしたら、この市井に紛れて生きているような男は、中東あたりの戦争でかなり活躍したのかもしれない。いや、だからこそパターソンでの何気ない毎日を死守しようとしているのかもしれない。そう考えると、穏やかで誰にも邪魔されない暮らしを維持するにも、なにか力が必要なのかもしれないと思わされる。
もしかしたら、主人公のパターソンという男は、携帯電話という文明の利器や、格闘などの力を使わずに、詩で生きていこうとしているのかもしれない。それが自分の弛まざる仕事だとでもいうように。
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。